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ワタリガニ通信 #0 カニのガニ、それから横断的思考のために

あけましておめでとうございます。
2023年note書初め。本通信の初投稿、そして「蟹」といえばおめでたいもの、ということで年はじめにはピッタリ、なのだろうか。
それでは始めます、ワタリガニ通信。

この「ワタリガニ通信」は、本、およびその他諸々と日々の所感を横歩きしながら綴る、横断的所感通信です。

本通信のきっかけと方向性


年末年始。休みだが、行くあてもなく、積読を解消する日々となった。

少し前から読書記録を書きたいと思っていた。
私は、ひとつの事柄が別の事柄に結びつくその瞬間、そこによろこびを感じる。
なので、分野横断的な本が好きだし、複数冊を渡り歩くような読書記録にしたいと思っている。

そして、知識が直感に結びつく瞬間が一番重要で、ここにおいて一番記録すべきことだと思っている
(そんな瞬間はなかなか来ないが、捉えられたときは記録したい)。

だとすると、本だけに限る必要もない。
読書は軸になるが、日記のような、所感の記録となっていくだろう。

仰ぎ見るは千夜千冊だ。


ワタリガニがしっくりきてしまった話


と、書いていく上で悩ましいのが、タイトルである。「横断的所感記録」にふさわしいタイトルは何か?

まず最初に思いついたのは、「渡」という語だ。
そして、「わたし」、「私」の読書記録、とも読める。読書は「私」なしには成立しない、個人的経験である──
だが、面白みがない。
渡、わたし、わたり──

そうだ、ワタリガニだ!
渡り鳥ではない。カニも人も、地をはって歩いていくしかない。しかしそれでも、遠くへと向かっていくのだ──

と、ここで誤算があった。
調べてみるとワタリガニ、案外遠距離には移動しないのだ。ちょっと行き詰まり感がある。ワタリガニのワタリは、渡し舟のように海を泳ぐ姿が見られるからだという。
(加えて脱線だが、頭の中に浮かんでいたカニの姿は、むかし川から獲ってきた、あるいは宮沢賢治の「やまなし」に出てくるような、サワガニであった。ワタリガニはもう少しごつい。)

だがしかし、どんな生物でも、長い時をかければ遠くまで移動していくものである。
(これは、最近読んだ「旅する地球の生き物たち: ヒト・動植物の移動史で読み解く遺伝・経済・多様性」に影響を受けている。)

そして、陸地だけでなく海にも生きる彼らは、「分野横断」の象徴としてふさわしいだろう。海へ向かうその姿。
加えて、なんていったってカニは「横歩き」、まさに横断するのだ。(ここで、横向きに横断したら縦断になるのか?と考えたりもするが、まあいい。)

そういう理由でもって、この所感記録のタイトルが、ワタリガニ通信でしっくりきてしまったのである。


カニのガニ、腑に落ちなさを抱えること


カニと言って思い出すのは、小学生の時の記憶である。
川にみんなで入り、生き物を捕まえる野外学習があった。私はサワガニを捕まえ、バケツの中に入れ、持ち帰った。

そして数日後、カニはいつの間にか消えていた。気づいたのは、仕事を終えた父親が玄関ドアを開け、家に上がった後だった。玄関へ向かい、ついでにバケツの中を覗き込むと、そこにカニはもういなかった。

脱走したのか、玄関ドアに挟まれたか、父親が、あるいは私が踏んでいないだろうか。
そのカニの消息は不明で、今でもなお、なんともいえない腹落ちしなさを呼び起こす。

そしてカニといえば、食べ物としてのカニだ。
ところで私はカニはあまり好きではない。
まず、味があまり得意ではない。
それから、昔、殻からほぐして食べた時の印象が良くないのもあるかもしれない。あの海の匂い。そして何と言っても、ガニと呼ばれる、食べられない部分がびらびらと付いているところが、なんとなく気持ち悪く感じられた。

どうも私にとって、カニは、なんとなく内臓をモヤモヤとさせるような感覚をもたせるものらしい。
しかし、カニはとても身近で、愛嬌があるイメージも持っている。

最近、こんな何とも言い難い、身近で、手触り感や、内臓にふれるような生感のある言葉や存在に、ちょうど出会いたいと思っていた頃でもあった。(ところで、私はPeople in the box の楽曲が好きなのだが、その歌詞がまさにこの、カニのようなものなのである。)

また、著者自らの生活や、経験の実感を伴う文章を読むのが好きなのだが、自分にはそういう、結び付けられるような、生きた記憶が果たしてあるのだろうか、と物足りなさを感じていたところだった。

そんな中、無味乾燥としたイメージではなく、なまの、湿りけのある、しかも実感を伴うイメージが自分の中から出てきたので、とても嬉しく思っている。


そして、なんとも言えない内臓のくすぶりのようなものは、情報を丸呑みせず、いろいろな方向から重ねていく上で感じざるを得ない、感じることが必須のものなのだろう。

人が作ったものを受け取るとき、そのもの全てを肯定できるわけではないし、誤りも含まれることだろう。分け切ることができない世界の部分を取り出して渡す時、それは玉石混合にならざるを得ない。

誤りを恐れて何にも触れないわけにはいかない。
一つに傾倒せず、色々なものを食し、感動は感動として受け取り、腑に落ちなさや誤りがあることも、同時に抱えていきたいと思う。

それは、ガニつきのカニをほぐして食べるように。


それでは、今回はこの辺で。


〜今回の本紹介〜
「旅する地球の生き物たち: ヒト・動植物の移動史で読み解く遺伝・経済・多様性」


そもそも、「渡り」という単語は、本書を読んだことで「移動」に関心が向いたことで出てきた単語であった。

この本は、移民問題の根底にある、「生物は固有の土地に縛られている」という考えを、生物の進化等の観点から批判し、その移動し、移り変わっていく様子を描く。
http://www.tsukiji-shokan.co.jp/mokuroku/ISBN978-4-8067-1642-6.html

追記
今回は読書記録をメインとしなかったのでかなりあっさりとした本紹介となってしまった。次以降、読書記録とするときはもう少し深掘りしたいところである。

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