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【37】着物記者歴30年のライターも驚く「究極のきもの」とは? 山鹿ありがとう篇

「蚕から糸へ、糸から着物へ」プロジェクト!
《私たちのシルクロード》 第37回 山鹿ありがとう篇


お蚕さんが結んだ繭から糸を作り、染めて織って着物に仕上げる――その全工程をレポートして製作した「Blue Blessing(ブルーブレッシング:青の祝福)」が、お蚕さんの故郷・熊本県山鹿(やまが)市に里帰りしました。

今回は「繭から着物」山鹿里帰り展を見に来られなかった方に、ぜひご高覧いただきたく、詳細をご報告いたします。

■山鹿の中心地で羽を広げて

2021年10月11日(月)から15日(金)までの5日間、熊本県の北部に位置する山鹿市役所に併設されている山鹿市民交流センターにて「繭から着物」山鹿里帰り展が開催されました。下の写真は初日の朝、養蚕農家の花井雅美さんが撮ったものです。

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お蚕ファームから運び込まれた古い衣桁に「Blue Blessing」を掛けた瞬間、花井さんは思ったそうです。
「あ、Blue Blessingが今、山鹿の市役所で羽を広げてる・・・・・・」

3ヶ月前の7月10日にお蚕ファームで初めて「Blue Blessing」を衣桁に掛けて皆で鑑賞したとき「衣桁に掛けた着物って、羽を広げているみたいで美しい」と語り合いました。あのときは100年の歴史がある古い家屋でひっそりと羽を広げましたが、この日は養蚕で知られた山鹿の中心部で、静謐さをたたえつつ、でも晴れやかに羽を広げました。

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オープン直後に花井さんと安達で記念撮影。関東地方に住む、糸づくりの中島愛さんと、染め織りの吉田美保子さんは来場できませんでしたが、でもこの写真に、ちゃんといるのですよ。右奥のパネル写真に中島さんがいてくれて、吉田さんは私の帯にいました。うふふ。風通御召(ふうつうおめし)の着物に合わせた帯は、吉田美保子さんの作品「線のリズム」なのです。吉田さんにいてもらいたくて、初日は「絶対この帯!」と思っていました。

花井さんは、この日、8月31日に掃き立てを行った晩秋繭を出荷する大事な用がありましたが、セッティングとオープニングのために来てくれました。

さあ、ご案内しましょう

会期前日の「つぶやき」欄でご紹介しましたが、山鹿市が下写真のように立派な看板を2つも作ってくださいました。こちらは、市役所庁舎につながる通路から見たところ。

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下の写真は、山鹿市民交流センターの入り口近くに置かれた看板です。来場される方を4人でお迎えする趣向としてくださり、ありがたく思いました。

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メインとなる「Blue Blessing」を取り囲むように展示品が並ぶ中で、最初に目にするのは拡大コピーした新聞記事のパネルです。本展を開催するきっかけとなった熊本日日新聞の記事は反響が大きく、またご覧になっている方が多いので「あの記事の着物なのね」とすぐに分かっていただけるように、という市役所のご配慮でした。

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次に目にするのは、この秋にできたばかりの晩秋繭「錦秋鐘和(きんしゅうしょうわ)」です。右のカゴに入っているのは、「Blue Blessing」に使用された経緯(たてよこ)の綛糸(かせいと)と、「Blue Blessing」の織り出し部分の端布(はぎれ)です。この綛糸で、吉田さんが求めた「湧き水の冷たい色」を感じていただきました。また、端布は、手に触れることができない着物の代わりに感触を味わっていただけるようにしました。手前に置いたのは、吉田さんが作成した、糸のリストです。

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パネル写真は「山鹿集結」のときに桑畑で撮影した「繭を持つ花井さん」。

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下のパネル写真は、お蚕さんを育てる蚕室内の花井さん。

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中島さんのパネル写真は、座繰りをしているところ。

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吉田さんのパネル写真は、機織りをしているところ。

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下写真、奥のテーブルにはパソコンを置き、この夏に作成した「蚕から糸へ、糸から着物へ」動画をエンドレスで流しました。動画を撮影しているときには、まさかこのように使用するとは思いませんでしたが、来場者はしっかり見てくださる方が多く、「作っておいて良かった!」と思ったことでした。ここから中島さんや吉田さんの声が聞こえるので、本当に4人で一緒にいるように思いました。

中央には、花井さんの「お蚕ファーム」に残されている昭和初期の座繰り機を参考資料として展示しました。だいたいの造作が、中島さんの座繰り機と同じというのを、不思議な気持ちで見ました。

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前回の第36回「山鹿里帰り展」ご案内篇でもお伝えしておりましたとおり、養蚕農家が家族のために自家の繭から作った、「もうひとつの繭から着物」を資料として展示しました。
下写真で、トルソーに掛けている紫地型友禅の丹前(たんぜん)は、大正11年生まれのお母様が、昭和22年生まれのSさんのために実家の繭から作ってくれた七五三祝い着を丹前に仕立替えたものです。このように七五三の祝い着を、婚礼時に丹前や半纏(はんてん)に仕立替えることはよくあったらしく、来場された70代の女性はご自身もそのような経験をしたと話してくださいました。

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Sさんの着物に関しては、下記で詳述していますので、よろしければご一読ください。

下の写真、テーブルに置かれた着物も、Sさんのもので、昭和40年代にお母様が実家の繭を外注して糸から白生地にしてもらい、さらに模様染めをして仕立ててくれたものです。

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下の写真、可愛い着物でしょう!これは花井さんの「お蚕ファーム」に伝わる着物です。花井さんに貸与される前に住んでいた養蚕農家のおばあさんが、12歳くらいの孫娘のために自家の繭から自ら糸を引き、染めて、機織りして仕立てたものです。経糸(たていと)に生成り、緯糸(よこいと)に茜色の糸を用いて程よいピンク色となっていて、洋服地でいうダンガリーシャツのようなポップな感覚さえあります。

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縫い方も細かい針目でしっかり仕立ててあるので、50年前の着物であっても、ちっとも古びた印象がなく、寸法の合う女の子に着せてみたいと思われました。

■新聞でも紹介していただきました

展覧の初日には、新聞社の取材を受けました。下のコラージュ写真、右が10月12日(火)に掲載された熊本日日新聞の記事、左上が10月13日(水)に掲載された西日本新聞の記事です。やはり新聞の威力は大きく、その日のうちに「新聞を見て」お越しくださる方がいらっしゃいました。

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上の写真、左下は熊本日日新聞10月13日付けの投稿欄の一部です。前日の展覧案内の記事を受けての反響が、翌日の新聞に早速掲載されました。山鹿市の90歳の女性が「懐かしい」と昔の思い出を語られています。会場でもこんな思いが行き交いました。

■来場された方からの学び

熊本県はかつては西日本一の養蚕県といわれたそうですが、なかでも山鹿は特に養蚕で知られた地で、熊本県の近代蚕糸業の開祖である長野濬平(ながの・しゅんぺい1823-1897年)を輩出した地でもあります。

そんな山鹿での展覧は、非常に意義深いものでした。お越しくださる方、ほとんどすべてに「養蚕の思い出」がありました。

「昔は桑畑ばっかりだったなあ。祖父母も養蚕をやってました。棚いっぱいに飼っていて、母屋の良いところはお蚕さんが使ってた。手伝い? やりましたよ。桑の葉をちぎってきてね、それをお蚕さんにあげるの。それが終わってから人間の夕食だった。」

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「繭を久しぶりに見ました。懐かしい! 母が製糸場に勤めていて、身近に育ちました。」

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「義祖父は養蚕指導のために群馬から移住してきたと聞いています。家では天蚕(てんさん)を飼っていました。這わせて飼うから、上からぼたぼた落ちてくるの。」

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「お蚕さんが桑を食むざあざあという音。あれは忘れられない。それと匂い。その頃はなんかイヤだなあと思っていたけれど、懐かしい。」

私はこれまで何度か着物関係の展覧スタッフとなった経験がありますが、今回のような話をお聞きするのは初めてでした。これは養蚕の地、山鹿ならではの反応だろうと、毎日感動の思いで耳を澄ませました。

■花井さんの活躍

初日こそ晩秋繭出荷のため、展覧時間の最初と最後に駆けつけた花井さんでしたが、以降は、毎日朝から夕方までずっと詰めていてくれました。花井さんもメンバーのひとりとはいえ、農家は一年中仕事があって、出荷直後もやることは山積みでしょうから、元々安達ひとりで会場に立つつもりでおりました。「身内」ではありますが、花井さんの存在は大きく、見に来られた方は、花井さんとお話できて喜んでくださいました。

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花井さんに、今回の「繭から着物」里帰り展を振り返ってもらいました。

お着物を見に来てくださったお客様は、子どもの頃ご両親が養蚕をしていたという方が多く、たくさんの思い出を聞かせてくださいました。
お蚕さんの桑を食む音や匂い、母親が農閑期に糸を引いて、着物を織っていた姿。など、皆さん、ご両親やおじいちゃんおばあちゃんの、養蚕・糸づくり・織りをされていた姿を鮮明に覚えていらっしゃいました。そして「Blue Blessing」を「綺麗ね~美しかね~」と眺めながら、「本当に忙しくて、厳しい毎日だったけど・・・」と当時を思い出しながら、ご両親のことを誇らしく語られていた姿が心に残りました。(花井さんのメールより)

■絹文化を思う「交流センター」

下の写真は、展示準備を始めたばかりの頃に会場の山鹿市民交流センターを撮ったものです。右側はホールになっていて、左側は階段を上った2階に図書室があります。奥には茶室としても使える和室や、各種講座を実施できる会議室もあり、山鹿の文化施設が集約した場でもあります。

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そんな「山鹿市民交流センター」の一角に設置した展覧会場は、まさに「山鹿市民」が「交流」する場にもなりました。養蚕に格別な思いを抱く皆さまは、「Blue Blessing」をあたたかく見つめてくださいました。山鹿の繭が、こんなに美しい着物になるということ。山鹿の繭を使って織物をされる方は「私も心して取り組んでいきたい」と、気持ちも新たになったとか。

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会場には、「Blue Blessing」を購入してくださったお客様もお越しくださいました。それに合わせて山鹿市長の早田順一さまもお見えになり、展示に協力してくださった御礼を伝え、一緒に鑑賞してくださいました。

■ありがとう「山鹿」

私にとって、もうひとつありがたいと思ったことは、市役所の庁舎が隣接されているので、職員の方々が見に降りてこられたことです。山鹿の市政を担う方々も、同じように養蚕の思い出があり、養蚕や絹の文化への関心を示してくださったことは、さすが「山鹿市」であると思いました。

展覧に直接関わってくださった市の職員の方々、臨時スタッフとして支えてくださったシルバー人材センターの方々のおかげで、無事会期を終えることができました。なんだかね、私、「山鹿ロス」になりましたよ。

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「山鹿で育った繭から引いた糸は、山鹿の自然が表れたものとなり、山鹿の清流をイメージした着物となったので、ご恩返しに山鹿の方に見ていただきたい」そんな思いで山鹿市役所の方々と一緒に取り組みましたが、皆さまのあたたかいまなざしを受け、「Blue Blessing」はますます祝福に満ちた幸せな着物になることができました。ご来場くださいました皆さま、関係各位に、この場を借りて心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

■そして、シルクロードの終着点へ

5日間の山鹿での展示を経て、皆さまからの愛を受け、プラスの気でいっぱいになった「Blue Blessing」。

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展覧終了の翌々日には、購入されたお客様に納品しました。

2020年9月1日、1㎜ほどの卵から生まれたお蚕さん。ここから始まった《私たちのシルクロード》は、2021年10月17日、無事終着点にたどり着きました。素晴らしい方のもと、「Blue Blessing」は幸せです。

いや、「Blue Blessing」よ。お召しになる方を美しく引き立て、お幸せに過ごせるよう、お守りしてね。


本連載も、いよいよひとつの終着点にたどり着きましたが、そうなの。実はまだあるんです。「蚕から糸へ、糸から着物へ」動画の英語字幕と中国語字幕を現在、鋭意制作中です。11月にアップできると思いますので、引き続き、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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