【怪談】怪々珍聞②―タクシーの怪談

 さて一つ目は、タクシーに関わる怪談です。みなさんも耳にしたことがあるのではないでしょうか。
 タクシーのような移動手段を使う幽霊は、実は明治時代の新聞記事にも何度か登場します。もちろん当時、今日の私たちが想像するようなタクシーは存在していないため、ここで幽霊の使う移動手段は人力車です。では実際に、それぞれが登場する怪談を見てみましょう。(少々長い引用ですが、お付き合いください)

 
 ◎幽霊をタクシーに乗せる(*1)
 東京の青山墓地と言えば、町の内の墓地としては非常に広大であるが、ある深更に、空自動車を運転して墓地のそばの道を走っていると、思いがけないところに女が一人立っていて手をあげて車をとめた。たった一人、しかも年ごろの娘さんで、それが黄八丈の着物を着ている。どうもあまり気が進まなかったが、「横浜」と聞いて、遠距離なので乗せた。環状線から国道に出て疾走したが、ふと気がつくと、バックミラーの中には客席の女がうつっていない。十字路に来て速力を落として、左右を見るような風をして横目で客席を見ると、たしかにいる。しかし目を正面に向けてミラーの中を探ぐると、どうもいない。そんなわけで、もうかなり臆し切った気持ちであったが、どうやら横浜まで来て、言われるままにある仕舞うた屋の前につけた。女は礼を言って、車賃の持ち合わせがないから、すぐに持って来ると言って、その家へはいって行った。そしてそのまま、いくら待っていても出て来ない。しかたがないので運転手は車をおりて、そこの家の戸口で案内をこうと、中から出て来たのは別の人であった。わけを話すとびっくりして、ともかく上にあがってくれ、と言われた。座敷に通って話を聞くと、その家の娘が数日前になくなり、その日の昼、お骨を東京の青山墓地へ埋葬して来た、という話で、服装や年かっこうから言って、娘に違いない、というのであった。
 
 ◎幽霊を人力車に載す(*2)
 車夫某が二三日前の夜十時頃安治川まで客を送りて帰路年のころ十八九の娘のヒヨロリと現はれて車夫さん老松町迄やつておくれといふので十銭に直段を極めゴロゴロゴロと挽てゆき程なく老松町三丁目の某家に着くと何卒憚ながら門戸を開けて下さいといはれて車夫ヘイヘイ畏まりましたドンドンドンと家の人を起して後振顧れば不思議や今迄居た娘の影さへ見らざるにぞ家の人に向ひ斯々と告げて車代を請取たいといふに家人も驚き吾家の娘は先々月栴檀木橋より投身して安治川へ漂着せしことは其頃の新聞に出て人の知る所今ごろ家に帰る筈はないと聞て車夫も亦吃驚されば全く其亡魂の迷ふて此世に在りしが吾車に乗つて家に帰りしものか(後略)

 
 いかがだったでしょうか。この二つの怪談を同時に見てみると、話の展開はよく似ていながら、一方でリアリティに大きな差を感じ取ることができます。怪談では「現実で自身にも同じことが起こるかもしれない」と話の受け取り手に感じさせることが重要です。上の二つの怪談におけるリアリティの差は、幽霊が移動手段として用いるタクシーと人力車の違いが原因だと考えられます。言い換えれば、話の型は変えなくとも細部の材料を変えてあげれば、怪談は長生きが可能になるということです。日本近現代文学・文化史が専門である一柳廣孝さんは材料が時代のリアリティに即して変わっていくことで、怪談が単なる「ありえない」話でなくなる、ということを指摘しています(*3)。
 
 「ビデオテープ」・「アナログテレビ」・「ガラケー」が物語のなかで重要なアイテムとなる、『リング』や『着信アリ』といったホラー映画のリアリティが段々と薄れていくことは、そう遠くない時期の出来事かもしれませんね(筆者自身にとってはまだまだ怖い映画ですが…)。


<参考>
*1 池田彌三郎『日本の幽霊』(中央公論新社、2004、p.59∼60)
*2 大阪朝日新聞、1883年(明治16年)9月5日付朝刊
*3 一柳廣孝『怪異の表象空間―メディア・オカルト・サブカルチャー』(国書刊行会、2020、p.249)

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