【怪談】怪々珍聞③ー異人殺し

 続いては、「異人殺し」と言われる話型の怪談です。前回の怪談ほど有名でない可能性があるため、先に二つとも見てしまいましょう。(今回も少々長いですが、ぜひともお付き合いください…)

 
 ◎奪った指輪(*1)
 あるタクシーの運転手の話なんだけど。夜中の十二時を過ぎたから、もう   仕事やめようかと思って、車庫に帰る途中に若い女の人が立ってて。そんで、手を上げたから、車を止めたら「お願いします」って乗ったんだって。「これで最後ですよ」ということで乗せて、「どこまでですか」って聞いたら「B町の商店街までつれてってください」って。そこでB町まで着いたら、料金払ってもらうときに、その女の人が「お金を持っていない」というふうに言って「現金の代りに指輪ではいけませんか」と言ったんだって。でも、運転手さんとしては現金の方がいいから「指輪じゃ困る。なるべく現金がいい」って言って。あとで払ってもらおうと思って、電話番号と名前を聞いて帰ろうとしたんだけど、よく考えてみたら、女の人の指輪の宝石がすごいきれいで、そのタクシーの運転手さんが宝石が欲しくなって。後ろから石を投げたら、女のひとの頭に当たって気を失ったんだって。その間に指輪を取ろうとしたけど、指輪がなかなか取れなくて、取れなくなっちゃって。それで、手を切って指輪を自分の物にしたんだって。その死体は草原に埋めて、そういうふうにして。
 その事件は警察も気がつかなくて、犯人は見つからないまま十年の月日が流れて。で、ある日、同じ日の同じ時刻に、同じ場所に、こんどは小さい子が立っていて、「お願いします」って言うんだって。ほんで「じゃ、最後ですよ」って。そのときもそう言って道を聞いたら、やっぱり「B町の商店街までお願いします」って。「はい」って言ってそこまで乗せてって。その途中の車の中で、運転手さんが、その子どもに「お父さんはいるの」と聞いたら「いない。小さい頃に死んじゃった」って言った。で、「お母さんはいるの」と言ったら、「お前に殺されたんだ」って言ったんだって。

 
 ◎座頭ヲ殺シテ子ト生ル(*2)
 勢州ニ凶男有リ。座頭宿ス。凶男官金ヲ持スルヲ見テ、夜ル殺シ金ヲ取リ衣ヲ剥グ。俄ニ家富ム。妻男ヲ生ズ、取リ上ゲテ之ヲ見レバ盲目也。然モ好ク殺セシ座頭ニ似リ。愛憐シテ成長ス。五歳ヨリ十四歳マデニ悉ク父ガ財ヲ費シテ云ワク、吾ハ父ガ殺セシ座頭ナリ、吾ガ官金遣イ尽スト雖ドモ未ダ命ヲ取ラズ。父聞キ怖シテ口ヲ開カズ。盲人或夜父ヲ殺シテ恨ミヲ報ジ、又吾モ自害ス。誠ニ因果ハ遁レ難キ者也。
(怪々珍聞編集者による要約:凶男が、宿泊していた金を持つ座頭を殺害する。その金で凶男の家は財産を得て、彼の妻は男の子を生んだ。生まれた子は盲目で、殺した座頭によく似ている。やがて成長すると、男の子は父(凶男)の財産を使い、「自分は父がかつて殺した座頭である」ことを告白する。父はそれを聞いて恐れおののき、ある夜、かつての恨みの報いとしてその子に殺される。因果は逃れられない。)

 
 いかがだったでしょうか。「異人殺し」といわれる型の怪談を二つ紹介しました。「奪った指輪」と「座頭ヲ殺シテ子ト生ル」では、見知らぬ人を殺害し金目のモノを奪い、後になって殺された人間の生まれ変わりである子供から、過去の行為を追求されるというストーリーが共通しています。
 『学校の怪談』シリーズを手掛ける常光徹さんは、この「異人殺し」と言われる怪談は、様々なバリエーションを持ちながらも、いずれの話にも底流には因果応報の原理、ここでは悪行は必ず悪因果で報いられるという思想がつらぬかれていることを指摘します(*3)。「因果応報」とは言っても、私たちが日常で頻繁に出会う言葉ではないかもしれません。ただ、「誠ニ因果ハ遁レ難キ者也。」とは言わないまでも、「奪った指輪」ではどうしてもタクシーの運転手の視点に接近してうしろめたさを感じ、「何か悪いことが起きるのでは…」と、そのような共感性やリアリティがないでしょうか?
 さて、「異人殺し」の「異人」とは、自身の共同体の外からやってきた不気味な人物、という意味を含んでいます。「座頭ヲ殺シテ子ト生ル」では座頭が「異人」にあたりますが、「奪った指輪」のような今日とそう時間的な隔たりのない時期の社会では、日常の中で時間や空間を共有する「異人」の範囲が比べものにならない程広がってしまいます(駅や映画館など、見知らぬ人が多く集まる様々な場所など)。それゆえタクシーの車内、見知らぬもの同士の運転手と客、という外の世界との断絶を示すような囲いの存在が、現代でも十分に通じる「異人」との交流の不気味さ・緊張感を演出していると考えられます。
 
 この二つの怪談は、因果応報の考えを基にしながら、その細部において異なる語りで表現されています。常光さんの表現を借りれば、話の表層は、語り手や聴き手をとりまく時代や社会の状況に応じて変化し姿を変えてゆくのです(*4)。それぞれの聴き手が怪談にリアリティを感じられなければ、いくら怖いストーリーも台無しになってしまいます。


 
 ここまでそれぞれ二つずつ、合計四つの怪談を紹介してきました。みなさんがどこかで出会った怪談も、細かな話の材料を時代に合わせて変化させてきた、意外と、長生きの怪談なのかもしれませんね。もし新らしく怪談に出会ったら、そのようなことも考えながら、怪談の怖さ・面白さをぜひ味わってみてください。もちろん、楽しむ心も忘れずに。


<参考>
*1 常光徹『学校の怪談ー口承文芸の展開と諸相』(ミネルヴァ書房、1993、p.83∼84 *常光氏が、中高生の好む現代の「はなし」として1986年夏、実際に女子中学生から聞き取ったもの)
*2 壹陽猷山『諸仏感応見好書』(1726 *なお原文が漢文であるため、句読点を補った書き下し文は、常光徹『学校の怪談―口承文芸の展開と諸相』 p.91~92の記述による)
*3 前掲、常光徹『学校の怪談―口承文芸の展開と諸相』(p.93)
*4 前掲、常光徹『学校の怪談―口承文芸の展開と諸相』(p.91)


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