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介護現場から 「そして、最期のとき」

こんにちは!ikedaです。


以前書いた、こちらの記事に出てくるご利用者が、先日ご逝去されました。

自分のフロアへ出勤前、顔を見にいこうと訪室すると、エンゼルケアを終えたYさんがいました。

扉を開ける前から、「あれ、もしかして…」そんな気がしていました。気持ちの準備をしていても、"その時"は、やっぱり少し動揺してしまいます。
とっても穏やかで、柔らかな表情が印象的でした。

施設からお見送りの際、たくさんの職員が涙していました。

顔に布をかけられて、霊柩車に入っていく、、
愛燦燦を聴いて「死にたい」と絞り出すようにつぶやいたYさん。今、どんなことを思ってるのだろう。そんなことを思いながら、見送りました。

朝の9:30にお見送りをして、1時間後には新しいご入所者が来ました。
以前から新入所予定はわかってはいたものの、何とも言えない気持ちになります。

まだ整理しきれない気持ちを抱えたまま、慌ただしく時間は流れていく。命への向き合い方、課題をたくさん吸収しつつも、また日常へと押し流されていくような気分になります。

・・

4年前の10月10日、ご利用者Tさんのお看取りを経験させていただきました。

Tさんは、パーキンソン病に、認知症がありました。
感情の起伏が激しく、怒ることがしばしばありました。排泄介助や、薬の内服介助、入浴介助も拒否。職員はタジタジでした。

しかし、なぜかわたしの名前は覚えてくれていて、介助も声かけに行くと「お前さんがやるのか?じゃ行こう」と毎回仰ってくれる方でした。

退勤時間が近づくと「困ったことがあったら、いつでも俺のところに来いよ!」と毎日声をかけてくれました。

休みの日から出勤すると、「おはよう。やめちゃったかと思って寂しかった」と涙を流してくれるTさん。職員からも、「またTさん、ikedaさんいなくて泣いてたよ」と声をかけられ、何をそんなに気に入ってくれたかはわかりませんが、とても可愛がって頂きました。

Tさんも徐々に体力が落ちて、施設でお看取りになることが決まりました。お食事も喉が通らず、絶飲食になり最期のとき。。。

娘さん、お孫さん、みんなが会いに来た日、ご家族に見守られながら息をひきとりました。
最期に何か大きな声で喋ったと同時に息を引きとったとのことでした。他の職員たちもいましたが、カーテンがぶわっと舞い上がり、何か大きなパワーが働いたようだったと言っていました。
 
わたしは、その日は休みでしたが、気が気ではなく、ずっと携帯をみていました。
(大丈夫かな。明日出勤だけど、また会えるかな、どうかな)そんなことを考えていました。

夕方に亡くなった知らせが入り、休日でしたが、今からすぐに会いたいと思いました。パートナーに、「ご利用者が亡くなったから、今から会いに行ってくる。」と伝えた私は、今思えば感情がとても高ぶっていたかもしれません。

「え、今から?」と、これから子どものお風呂を入れる時間であり、派遣なのに行かなきゃいけないの?と、パートナーも少し難しい表情をしました。

「亡くなったから悔いが残らないように挨拶したい」と繰り返す私に

「でも、いつもそういう気持ちで会ってるんじゃないの?」とパートナーが言いました。

そのときに、ドキっとしました。
とても痛感する言葉でした。

そうなんだよ・・・
いつも会ってる。最期の時じゃなくたって、わたしたちはこんなにご利用者とたくさんの時間を過ごして、こんなに向き合う時間があるのに。

最期が近づくときに、何か出来ないか考えて大好きなアイスを舐めてもらったり、乾燥しないように保湿剤をまめに塗ったり、寒くないようにあたためたり、たくさん部屋に行って声をかけたり。
でも最期を迎えていつも思う、
もっと大好きなアイスを「おいしい!」と食べたり、あたたかくて気持ちいいと日向ぼっこしたり、もっと何をしたいか選択できる時から、生きる活力になる支援ができていたらもっともっと…
なんてぐるぐる考えたりしました。
いつだって悔いがないように毎日のケアが出来ているんだろうか。また明日があるような気がして、忙しいなかで話を繰り上げて、「また話してくださいね」なんて言ったりして。。

様々なことを考えながら、慌てて家を出てTさんに会いに行きました。

施設でのお見送りは、職員がいる昼間にしたいというご家族の希望で、翌日の朝になりました。

ご本人と挨拶を行い、その日は帰宅しましたが、家に戻っても強い虚無感に襲われました。
介護職員なのにこんなに気を引っ張られてしまい、自分はまだ一人前の介護職には程遠い…そんなことも思いました。
お見送りの際も、一生懸命泣かないように我慢しました。わんわん泣いてしまうことが、周りの介護職からどう見られるか、正直そんな気持ちもあったのかもしれません。涙せず、気持ちを整理して笑顔で見送ることが介護士として理想の姿だとも思っていたのかもしれません。

でも、今でもTさんとの思い出を胸に、介護士として働く中でわかったことがあります。

それは、あのとき、思いのままに泣いてよかったんだということです。

あのときの自分に言いたい。

「泣いて当たり前!Tさんのために、家族のために、自分のために、率直に感情を表現して良いんだ。
だって介護士である前に、人だから。亡くなる、別れのときにまで情緒をコントロールする必要はない。
それだけ人間関係を築けたし、それだけTさんとの出会いは自分にとってかけがえのないものだった、ありがとうという気持ちを表すのに、悲しみを素直に表すことは恥ずかしいことじゃない。
新しい入所者が入ってきてまだ気持ちがついてこない自分も、それはそれでいいんだ。」



気持ちをすり減らしながら、また学び得ることで前を向く。
こんなに心忙しい仕事があるだろうか。
こんなに苦しくて、喜びある仕事はあるだろうか。。。

一日を一生懸命に取り組みたいと思います。

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