もう二度と手に入らない色で描かれた、もう二度と手に入らない景色。PRO400Hが残した夏。
またひとつ、フィルムが無くなるらしい。
富士のPRO400Hというフィルムの販売終了が決まった。
これは大変良いフィルムで、少し高かったのだけどよく使っていた。
プリントやスキャンの仕方にもよるけれど基本的には青や緑が綺麗に出る。
市橋織江さんという写真家が中判のこれを使われていて、写真集はすっきりとした綺麗な青で満たされている。とても美しい世界を描き出すフィルムだった。
フィルムにはそれそれ固有の特徴があって、選ぶこと自体も楽しみの一つ。
原色がきれいに出る元気なフィルム。
昔の写真のように写るフィルム。
赤がきれいに出るフィルム。
コントラストが高いざらざらしたフィルム。
PRO400Hは寒色系であっさりとした淡さと粒子の細かい繊細な描写が、懐かしさや切なさを感じさせる。
記憶の中のような、夢の中のような不思議な色。
実際には全然違うのに、一昔前の邦画のような焦燥感を覚える色。
他のフィルムももちろんだけれど、この雰囲気をデジタルで再現するのはかなり難しい。センスのある人や上手い人が頑張れば近づけることはできるかもしれないが、少なくとも僕には今のところ無理なので、つまりもうそういう写真を撮ることができないことを意味する。
残念でならないが、これも時代の流れ。仕方ない。
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何のためにフィルムカメラを使うのか、という問いに対し僕の場合は機械を使っていて楽しいからと答えている。
絞りを決めて、シャッタ速度を決めて、巻き上げて、ピントを合わせてからレリーズ。この工程を遊びとして楽しんでいる。
自分で機械を操作する面白さ。自動ではない、手動でやることのゲーム性。金属の質感、モノとしての美しさ。
高画質が欲しければデジタルの圧勝だ。
だから別に絵の為に使っているわけではない。
はずだった。
ただ、もう二度と手に入らなくなるPRO400Hで撮った写真をあらためて見返すとその色も相まって喪失感で胸が痛くなった。
あの夏、あの島で、あの街で過ごした日々はあまりにも綺麗で、もしかしたら夢だったのかもしれない。
僕の生きている世界が、こんな綺麗な色で出来ているはずがない。
僕の記憶の中の色と、ぴったり合っているわけがない。
もう二度と手に入らない色で描かれた、もう二度と手に入らない景色。
あの夏は、綺麗だった。