三次元が「無理」な話――声優とVTuberと

ニコニコ超会議とかのコンテンツをぼんやり見ていて、バーチャルYoutuberの在り方とか、いわゆる「2.5次元コンテンツ」とか、そういうものについて考えた。

そもそも、僕は、いわゆる「2.5次元」なコンテンツを、なんか愛せない。というか、摂取できない。拒否反応までは言わないけれども、それに近いものが出てしまう。

どこまでを「2.5次元」と定義するかだけど、僕が見て「ダメだわこりゃ」と思ったのは、アイドル系アニメ(具体的に言ってしまえば『ラブライブ!』なわけだけど)の、声優によるステージ。

最近の声優は歌って踊れないとダメ、みたいな傾向がどうしても最近感じられるんだけど、それが無理。だめ。

直接のきっかけは、Twitterに流れてきたこの動画だった。

叩く意図はないんだ。ファンの方が読んでたらすまない。

さて。この動画は函館だかどこかであった『ラブライブ!サンシャイン!』のイベントのオフショット、らしい。Guilty Kissってグループ内ユニットの名前は知ってる。これを見た瞬間、「あ、やっぱりこの界隈むり」と思ってしまった。

アニメは好きだ。「好き」って言い切れるほど好きかはわからないけれど、ドラマより、バラエティより、アニメが好きだ。

声優の声だって、嫌いじゃない。「この人の声質が好き」とか、「この人のこの作品のこの演技が神」みたいのだったらわかるのだ。

でも、「声優が好き」という概念がわからなかった。

声優のラジオを聴いている人が周りに複数名いるんだけれど、なんで時間割いて人の無駄話聞くんだろうって思ってた。

 * * *

根本的には、僕はアニメが好きで、実写が好きではないのだと思う。

理由を考えてみたら、割とすぐにわかった。

実写の場合は、生身の人間が映る。背景だって、現実世界のものだ。セットを組んだって、まさか空までセットを組むことはないだろう。

要するに、実写作品は、「現実世界の中に、虚構を混ぜ込んだ」といえる。程度の差はあれ、実写である以上、ベースは現実世界のはずだし、そこで役者が演技をして、ストーリーという虚構を描き出すのだ。『シン・ゴジラ』だって、キャッチコピーは「現実対虚構」だった。

その反面、アニメ作品はどうだろう。アニメーターが描く虚構の上に、声優の芝居が乗っかっている。100%ぴゅあぴゅあな虚構である。リアルなどひとかけらもなく、すべてが作り物でできている世界だ。

「物語」である以上、どこかに「虚構」が入ることは確定している。僕はきっと、純粋すぎて、現実世界に虚構が混ざっていたら、安心できない人なのだろう。ドラマとかを見ていても、役者はこの時どんな気持ちなんだろうって考えてしまう。

だから、「2.5次元」はダメなんだろう。2.5次元という言い訳をしたって、実際に声優の皆さんはステージの上とかに立って、公式な衣装で担当キャラクターの姿に扮し、アニメのキャラクターがそこにいるかのような演技をしたり、声優同志で絡んだりするらしい。結局どうあれ、現実世界に虚構が混ざっていることには変わりない。

 * * *

考えているうちに、「現実と虚構が混ざっている」のに、拒否反応の出ないコンテンツがあることに気がついた。そう。バーチャルYoutuberである。

3Dモデルの中には人がいるし、多くのVTuberは雑談生放送などで、キャラクターではなく、中の人の体験談みたいなことをしゃべっている(多少のキャラ付けはしているが、ベースが中の人にあることは間違いない)。

まあ、見た目というか、情報として与えられているのはアニメと同じだから(アニメ調の絵+声)、拒否反応が出ないのだ、と言ってしまえばそれまでだけれど。アニメと明らかに違うのは、ファンと演者との距離である。

アニメにいくら「がんばれー」と言ったって、キャラが「うん、わたし、がんばるよ!」と言ってくれたりはしない。まして、名前を呼んでくれるなんてそんなことは絶対にない。

翻って、VTuberが生放送をしようものなら、コメントを拾いまくる。月ノ美兎なんかは、「ファンのみんながいなければこんなにしゃべれません」なんてことを言ってた。真理だろう。

要するに、「ファンがVTuberコンテンツの一部である」と言い切ってしまっていいだろう。ファンが参加しているのである。現実世界にいながら、虚構の世界の物語(?)に参加している。これは「100%ぴゅあぴゅあ虚構」とは言い難い。

どうして、僕は、バーチャルYoutuberに拒否反応を示さなかったのだろう。

人は見た目が9割と言うし、視覚の全情報量中に占める割合は8割とも聞く。「見た目がアニメキャラっぽいから(=全て虚構だから)、声やコンテンツの中身も全部虚構なんだろうと誤解している」説が、濃厚かもしれない。

 * * *

将来的に、VR技術、トラッキング技術がもっと発達したとするなら、映像コンテンツの製作に大変革が起きるんじゃないかな、ということを、たまに考える。

どういうことかというと、今のバーチャルYoutuberのように、身体の動きを全部トラッキングして、VR空間の中で、複数名の役者が演技をするのだ。VR空間なら、どんな大掛かりなスタジオだってモデリングするだけで組めるし、現実にあり得ない動きだって可能だろう。スーツアクターとかワイヤーアクションとかが要らなくなる。

それだけではない。もし、VR空間で全てが完結するようになったとしたなら、役者の素質から「見た目」が除外されることになる。どうせアバターを被るのだ。中身なんて誰も気にやしない。それどころか、「俳優」と「声優」の違いだって曖昧になるだろうし(声が出せて動ければどっちも一緒だ)、もっと言えば「実写」と「アニメ」の違いだってなくなってしまうだろう。アバターとか背景の雰囲気とかで多少の差別化はなされるかもしれないけれど、そこを区別することに、もはや意味はなくなる。

動画コンテンツの全てが「虚構」で完結するような、そんな時代は、果たして本当にやってくるのだろうか。もしやってくるのなら、僕はさぞかし生きやすくなるような、そんな気がする。

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