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就活オワハラについての分析(体験に基づいて)

私、実は数回就活でオワハラを食らったことがあります。
友人も2回食らってます。
オワハラとは、A社が内定を出す代わりに、学生にB社の選考を辞退させることです。

そこで思ったのは、オワハラは、強迫を伴わない所が厄介だということです。

具体的に言うと、自分達の知っているオワハラは、とても優しいものです。
「ウチは内定あげたいんだけど、就活やめて、もうウチで働くと決めてくれるよね?」と面接の段階で聞かれます。
(よく聞くような「○○銀行の人事に熱湯をぶっかけられた」「大声で脅された」というものは経験にありません)
もちろんコチラは自分を売る商売なので、「はい就活やめます」としか言えません。ノーと言えば、内定がもらえないからです。

ここで、会社側に言質を取られます。俺も確かに言ってしまいました。
ここがミソなのです。
(強迫や暴行なら、企業と学生は完全な対立関係になり、そこで対等な関係に移行する道もあります。ツイッターに書いてもいいですね。)

優しいオワハラの場合、そのような敵対をしないので、ナアナアで向こうの要求を呑む関係が続くのです。

そのような状態で、私達は就活やめると約束したとなれば、道義的な責任感から、オワハラに屈するわけです。

そして、このナアナアの関係を分析すると、それは、企業と学生の親密な、しかも権力が発生したものなのです。権力関係が隠れる、ここにオワハラの巧妙なところがあります。


そう考えた時、ある学者の言葉を思い出しました。
われわれの大半は、「熱きにもあらず、冷ややかにもあらざる」人種であって、中途半端な思考と情緒の世界に安住する人間ではなかろうか
(勝田吉太郎、京大名誉教授、@katsutabot )

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