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トドになって水族館のショーに出る

太った。

今、人生で一番体がでかいことが自分でもわかった。呼吸するだけで体が重いのだ。
誰かに「太った?」と言われたわけではない。傍から見たら痩身な方だろう。
けどダメなのだ。わたしは痩せていることがウリなのだ。事務所のHPでもこう謳われている。

わたしはバランスの取れた今どき系スレンダー女子なのだ。事務所の規則は守らなくてはならない。

恐る恐る体重計に乗ると、想像の1.5倍くらい重くて体重計から飛び降りた。早く降りたからと言って体重は変わるわけではない。これじゃあバランスの取れた今どきスレンダー女子どころか、バウンスで弾ける食べどき系小太り女子である。

ごめん体重計、重かったよね。体重計に謝った。

体重計を降りた瞬間、あまりのショックに自分がトドに思えた。
体重計に乗った時に魔法でトドの姿に変身してしまったのではないかと思った。
朝ごはんを食べるトド、顔を洗うトド、トイレをするトド。なんて器用なトドなんだ。トド界の中だったら優秀な方なんじゃないか?

そうだ、もうトドとして水族館のショーに出よう。

自責の念はどんどんわたしを追い詰めた。

わたしはトドとして水族館のショーに出て生きることを決めた。形は違えど人にエンターテイメントを届けられる仕事じゃないか。そんな生き方も悪くない。
悪くない。とか言ってるけど、水族館のショーに出るにもオーディションがある。人間時代からオーディションというのは本当に受からないものである。
トドとしてのエンターテイメントをして生きるしかない、などと見下したようなことを言っていたがそれはそれで厳しい世界なのだ。

トドの中にも優劣がある。なぜかトドの中に入れば自分は優秀な方だろう、などと高を括っていたが、そんなことはなかった。
トドの中でも優秀なヤツがいる。人間には人間の、トドにはトドの「デキるやつ」がいる。
わたしはトドとしての才能はなかったものの、トド仲間ともうまくやったし、指導員の人にすりよってお腹を見せてみたりした。これは、人間界と同じメソッドだった。

なのでわたしは猛練習した。首で投げ輪をキャッチする練習、体をそらしまくる練習、高速で階段を駆け上ったり、「アオッ!」と元気の良いお返事の練習、細い台の上でバランスを取ったりした。これはバランス取れた違いだ。
たまに指導員の人が生魚を飲み込ませようとしてきたがそちらは丁重にお断りした。


人間時代から運動は苦手だったし、体力を使うことも嫌いだった。

やりたくないことや本望ではないことをたくさんしたが、遠回りの中や失敗の中にこそ、人生の苦くも甘いスパイスが潜んでいることをわたしは学んだ。


そんなある日、起きたらすっかり人間の姿に戻っていた。
皮肉にも猛練習をしすぎたせいで体重が激減していたのだ。

鏡をのぞき込んでも、そこにはトドの姿はなく、少しだけ自信をつけた顔色の良いバランスのとれた今時スレンダー女子が映っていた。

そういえば、今日はオーディションの日だった。
「アオッ!」わたしは大きな声で発声練習をして、オーディション会場へと向かった。

おわり

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