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自分が好きな写真の話

こんにちは。奈鳥です。
Ken Tanahashiさんのこちらの投稿を見かけたので、書いてみようと思いました。

この前、すこし似たような話をした気もするんですが、内容はこの前のとは全然違うものなので読んでいただけたらうれしいです。

そもそもいつから写真が好きなんだろう

好きな写真、というものを考えて最初に思い出したのは子どもの頃に見ていた家族写真でした。

家族写真は全てフィルムで撮られていて、それをプリントした時にもらえる小さなアルバムに入っていました。
それが何冊もあって、全て見ようと思うと2時間くらいかかるのですが、暇な時はそれを出して眺めていました。

フィルムで撮られた写真には新生児の頃の写真から小学生の頃まで、たくさんの写真があります。
ただの記録としてしか撮っていない家族写真です。

小学生の頃の写真だと撮った時に親が何を言っていたかとか、撮った場所とか、そういうものまで覚えてるけれど、赤ちゃんの頃の写真は全然覚えていません。
だけれど、子ども(自分)を可愛いと思って撮る親の気持ちは手に取るようにわかります。
それが何だか嬉しくて、ずっとずっと眺めていました。

それを思い出して、写真が好きである時間は意外と長いんだなと思いました。

初めて手にした写真集

高校生のとき、川島小鳥さんの「未来ちゃん」を本屋さんで初めて見かけて心を奪われました。
すごい形相で何かを食べている女の子、この子の他の表情はどんな顔なんだろう?と気になって、母に初めて写真集を買ってもらいました。
実家に置いてきてしまっても、読みたくなって買い戻すくらい今でも好きです。

どうしてこんなに読みたくなるんだろう?と思って考えたんですが、純粋に未来ちゃんが愛らしいというのは勿論のこと、子どもの頃の自分の写真を見ているときと同じ気持ちになるからだと思いました。

自分の子ども時代を思い出しながら、自分を未来ちゃんに重ねながら写真を眺める。
きっとこれを撮った人は、この子を可愛いと思って撮ってるんだなと感じる。
そしてそこから子どものころの自分を見て、子どものころの記憶に愛された記憶があろうがなかろうが関係なく、自分は愛されてたんだ(愛された姿もあったのだ)と思える。

大人になってから親に甘えるなんてなかなかできないので、写真を通してこう思わせてもらえるのは有難いことだなぁ……としみじみ思いましたし、こう思えるから大人になっても未来ちゃんが好きなんだなと思いました。

その次に好きになった写真家

私は濱田英明さんの写真が大好きです。
ですがきっかけをはっきりと思い出せません。
多分TwitterやInstagramから知って、撮られる写真が好きで見るようになったはず、です。

濱田さんの写真に映る人、ものはすべてきらきら輝いていて、見ているとなんだかあたたかい気持ちになるのでとっても好きです。

私は写真を撮り始めて良かったと思ったことが4つあって、そのうちのひとつは「全てに対してここまで存在している物語を感じ、私もその中の一つであり、いま一緒に生きている嬉しさを感じられること」でした。

これは自分が撮るという行為に対して思っていることですが、そうではなく写真に対して初めてこう感じたのは、濱田さんの写真でした。
営みを感じられて、物語を感じられて、そこからあたたかみや愛を感じられる。
自分はひとりじゃないと思える。
こんな写真家に出会えることが出来て幸せだと感じます。

自分が好きな写真とは

私が好きだな、いいなと思って撮る写真は、営みや生活している感じが感じられるものが多いと思います。
現像する際、柔らかくはしますが、儚くしすぎないように気をつけています。
これはきっと、儚すぎると現実味が無くなってしまって、生活している感じが無くなってしまう気がしてしまうからなんだと思います。

こういう場所あるよねとか、こういうの撮るよねとか、こういうことがあったのかな?とか、いろいろ思いながら見てもらえたら嬉しいです。

そして生きることがしんどいなと思っている方にいつか届いて、自分はひとりじゃないかもとか、少しだけ生きてみようかなとか思ってもらえたらとっても嬉しいです。
(文章を読んでいただけたこともとっても嬉しいです。ここまで読んでくださってありがとうございます。)

写真は全てSIGMA fp、
レンズはNOKTON classic 40mm f1.4で撮っています。

重ねてになりますが、ここまで読んでいただき、写真を見て下さり、ありがとうございました。
もし良かったらnoteの他にもXやInstagramもやっていますので見ていただけたら嬉しいです。

奈鳥

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