高校時代の困難

こんばんは。

今日は私が高校で体験したことを語っていきたいと思います。

私は生まれも育ちも日本なんだけれど、高校になってから周りとの温度差には気づいた。
正直自分の性格は日本とはかけ離れていて、西欧スタイルのほうがとても居心地が良い。

高校の時、私は会話に間があるのが苦手だった。
とりあえずしゃべらないとって思い周りを必死に盛り上げようとすると
「かほちゃんはマシンガントーク大好きだよね」って言われ、
相手をむしろ不快にさせてしまった。
日本みたいな察しろ文化がすごく苦手だったから、
お互いが正々堂々と意見を言って解決しようとしたら、
早く鎮めるために相手は妥協して後で私の悪口を言ったり、、

私の高校は偏差値が60以上あったので周りにいる人はみんな優秀で、
マークシート式のテストではみんな点を取っていく。
だからこそ、外れた答えは言いづらかった。

中でも一番衝撃だったのは生物の授業だ。
生物の先生は答えを知る前にまず考えることが大切だと教えてくれた。
生徒は答えを知らないから何通りでも回答を思い浮かぶことができる。
私は想像力を働かせ答えを生み出すことが大好きだったから、
自分なりに答えた。

しかし周りからは笑われてしまうのだ。

正直なぜかわからなかった。
授業が終わると「かほちゃんの答えがおかしい」とか
「かほちゃんの答えで先生が戸惑っていたよ」とか、、

私はその時、想像とは恐ろしいものではないかと感じてしまった。
その想像が周りとずれていたら、からかわれ非難されてしまう。
自分にとってその想像が周りと一緒だと思って発言したとしても
私と同じ発想をする人が全くいないせいでまた揶揄されるという
繰り返しを何度も何度も経験した。

他にも、私は日本人みたいにおとなしい反応ができない。
どうしても声が大きくなって振る舞いもすごく大胆になってしまう。
でもこれが ”私” なのだ。
生まれつきのとっさの反応はかえることができない。

それなのに周りは「大げさすぎてわざとなの?って思う」って言われたり。
この世界にはうんざりしていた。

それでも冷静なリアクションをとることがどうしてもできない。
私はこのリアクションが大嫌いだった。

もっと例を挙げると、私は耳があまりよくない。
中学生の時に滲出性中耳炎と診断され、
右耳に関しては低音が聞き取りずらく、
異常とみなされる一歩手前と診断結果が出てしまった。

人よりも音が聞こえにくく、聞き間違いも日常茶飯事だ。
私はコミュニケーションにおいて障害が出てほしくなかった。
そのため一週間に一回耳鼻科へ通院した。

なのに聞き間違いは多いまま。
でも私自身、耳に障害があるって言いたくなかった。
だからこそ傷ついた言葉がたくさんある。

「聞き間違い多いって本当なの?多すぎてわざとなの?って思う」

本当にショックだった。
私はなんでこんな耳で生まれてきちゃったんだろうか。
なんでききとれないんだろう。
なんで周りはちゃんと聞き取れるような耳を持っているのだろうか。。


たくさん悩まされたし、苦しんだ。

でもね、私は日本文化を知っていなかったせいで、
物事をはっきりいってしまってたくさん傷づけた。。。



しかし去年1年間マレーシアへ休学留学し、私が欠点とみなしていたことを
すべてプラスに変えてくれたのは外国の皆、特にアラブの子たちでした。

アラブのみんなの発想がすごく飛び抜けており、私も思いつくなり
提案してみる。そしたら彼らの返事に私は圧倒された。
「君の発想はなんて面白いんだ!そういうのすごくいいと思うよ!!」
そして拍手をしてくれた。私は本当にびっくりしました。

他にも、私のリアクションで
「君は最高だよ!!!ほんとうにいい!!!」
と言ってくれて、自分のままでいていいんだと感じました。

私が苦しいと思っている中で、認めてくれる場所は必ずどこかにはある、
それがアラブの皆だったと感じました。


また、マレーシアではみんなが裕福なわけでもないし、障がいをもって
生まれてきた人もたくさんいる。

それだからか私が聞き間違えたり聞き取れなくて何回聞き返しても
彼らは何度も違う言葉で伝えようとし、ゆっくり話してくれたりする。
なんて居心地のいい国なんだと感じました。

そんな夢の時間も一瞬。
私はまた日本の普通に戻らなければいけなくなりました。

私がもし多様性が認められる国で高等課程を経験していたら、
私はもっと楽に生きれたのかな。

どうしたら母国で普通として生きていけるのか、今も模索中です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?