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ごはんを作るって壮大なストーリー

ごはんを考える、材料を買う、そして作ること。
面倒くさい、さぼろうと思う日もある。

さぼるどころか、かろうじて食べていたような時もあった。
20代前半の頃かな、仕事で忙しくてへとへとで帰った夜は、座るとお風呂に入るまでだらけちゃうから、食事はとにかく急いで済ませた。
キッチンの流しの上の蛍光灯だけ点けた薄暗い光の中、皿にも開けずパックのままの豆腐をスプーンでほじくって、その穴にポン酢をかけ、立ち食い。
もっとひどい時は、コンビニで3個パック入りのめかぶを買って、人が少ないからって歩きながらすすり食べて帰宅していた。どちらもその姿を想像すると怖すぎる。

そこから転職したり色々あり、現在は会社勤めを辞めてやっと人間らしい生活ができている。
食べれれば何でもいいと思ってた人が、ごはんを作っている。ごはんを考えて、作るって人間ならではの楽しいことなんだけれど、毎日やるには、割とエネルギーが必要なことだと実感している。
「ごはんを作る」は実はちょっとした創作活動でプロジェクトのようだから。

ごはんを作る。まずは計画。プロデューサーになる。何を食べたいかなと、頭の中でごはん会議をする。
口はどんな気分か、飲みたいあのお酒に合わせようか、あの人のレシピ気になるな、旬な食材が食べたい、冷蔵庫に瀕死のキャベツが残っている件、今日が和食なら、明日は中華、明後日はタイ料理の流れなんてどうでしょう?…など、議論が繰り広げられて、散らばった意見を上手くまとめあげていく。

つぎは仕入れ。敏腕バイヤーになって近所のスーパーへ向かう。
メニューに合わせて軽快にピッキングしていく。予定にはなかった偶然出会った美味しそうなやつもカゴに入れちゃおう。
周りをみれば、それぞれのセンスで選んだ食材がカゴに詰め込まれている。この人のおうち今日はカレーっぽいなとか、絶対飲んべえだな、とか、ちらっとだけ垣間見えるプライベートもおもしろい。
時にはスーパーをはしごして狙い通りの品物を手に入れる。いかに安くいいものを仕入れられるかにバイヤーたちは燃える。

いよいよ調理。キッチンでは、シェフのように手際よく華麗に動きたい。
たくさんの調理道具と調味料が揃うキッチンは自分のアトリエのような空間で好きだ。
よく使う道具を最適な位置に配置したり、スパイスを入れた小さなビンを三つ子みたいに並べたりしている。
この家の中にあるコンパクトなアトリエで、火や刃物や水や電気を操って、時間やさじ加減に気を配りながら、うっかり失敗しても何とか挽回して、ごはんは出来上がる。

仕上げに盛り付け。ごはんとお皿を組み合わせるスタイリストになる。
これは汁気があるから深さのあおる皿かな、マットな黒いお皿でちょっと気取ってみよう。そんな感じでぴったりのお皿を選んで盛りつける。
頭の中での会議からはじまり、こうしてやっと形になった!嬉しいね。テーブルに出来たてのごはんが並ぶ瞬間、いい景色だなと達成感を得る。

食べる時間はクライマックス。この時の為にやってきた。幸せでありたい。
自分ひとりの為のごはんは、手間をかけた分だけの愛着を持って、好きなように好きなだけ独り占めして食べる。誰にも邪魔されないリラックスした贅沢な時間だ。
誰かの為のごはんは、喜んで欲しくて、おいしいと言ってほしくて頑張る。何か一品でもおいしいが貰えると、ものすごく嬉しくてもっと腕を上げたくなる。一緒に食べるだけでも楽しいけど、振舞ってくれたこと、喜んでくれたことに対する嬉しいが重なるともっと充実した時間になる。

ところが、作ってもらうのが当たり前な状態になってしまうと、人間、ありがたみが薄くなり、おいしいと思ってもわざわざ言わなくなってしまう。
例えば一緒に住むパートナーや、家族との関係ってそうなることがある。
作る側の立場になってやっと気付いたけど、作ったごはんについて何も言ってもらえない時は、とっても虚しいのだ。
栄養だったり、味の好みを考慮してメニューを決めて、食材を調達し、涙をこらえながら玉ねぎをすりおろし、まごころ込めて作り上げたごはんが、なんの感想もなく、ものの10分程で消えてしまうと、虚しい。
しょんぼりと食べ終わったお皿を洗って、壮大な今日のごはんストーリーはちょっぴりサッドエンドで幕を閉じる。

私は実家暮らしの頃、母を何度かこんなふうに虚しい気持ちにさせてたかもしれない。
ごめんって思った。
いただきますとごちそうさまは、もちろん言っていたけれど、なかなかごはんの感想とか、おいしいって実は言えてなかったかも。ごはんまだ~?とか言ったり、食事中なのにテレビに夢中で味わっていなかったり、そんな記憶もある。
家族を想ってどれだけの時間を費やし何千回のごはんを作ってくれてたんだろうと思うと感謝しかない。今からでも遅くないと思って、昔作ってくれたあれが好きだったとか、あのレシピを教えてって最近は想いを伝えている。

もしもこの文章を読んでくれたあなたが、あなたの分のごはんを作ってくれる人や、昔作ってくれた人に言いそびれてることがあれば、ぜひ、伝えてほしい。
作った人はものすごく嬉しくて、活力が出るし、その一言でしばらく幸せな気持ちになれるから。もしよかったら。

世界中で毎日数えきれない程のごはんが、それぞれのキッチンで、その人のさじかげんで、選んだお皿に乗せられてはおなかの中へ入っていく。
いろんな文化があるんだろうな。代々伝わるレシピとか、お祝いの日の特別なレシピとか、みんな特別なストーリーを持っている。
でも普通のごはんも愛している。普通の日も小さなストーリーがあるから。そして調理される前にさかのぼれば、野菜を作った人にもストーリーがある。食費を稼ぐお父さんがいる。
ごはんとごはんを作ってくれる人、ごはんが食べれることに、今日もありがとうの気持ち。



今日の絵は、ソーセージを焼く人。
この絵は世界のキッチンを紹介した本と、世界の部屋を紹介した本の写真からインスピレーションを受けて描いたもの。人の家やお部屋紹介が大好きで、その中でもキッチンって、その人らしさや国の文化が滲み出ておもしろくて好きだなぁ。

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mumukaho



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