お寺のシャンデリア

 恩人とも言えるほど、常日頃お世話になっている方からの紹介で、noteをはじめました。

 その方が時々のぞいてくれればそれでいいや、くらいの気持ちではじめましたが、思いがけず多くの方々に(もちろん人気の書き手さんに比べれば微々たるものでしょうが)読んでいただき、本当に嬉しく思っています。すぐれない体調や余裕のつくれない気持ちの中、励みにもさせていただいています。本当にありがとうございます。

 あと、コメントもいただいている記事もあるのですが、なかなかお返事ができず、申し訳ありまえん。以前某SNSをしていた時からコメントの返信というものが苦手で、今回もどのようにお返事したらいいか迷ったままになっております。もう少し気持ちに余裕ができたら、お返事させていただきますので、どうかご容赦頂ければ幸いです。

 で、今回もまたしつこく、以前の日記に少し訂正を加えて再録します。  

 山形県酒田市にある、即身仏で有名な海向寺というお寺に行ってきました。

 即身仏というのは、昔のお坊さんが永遠に姿を残すためにミイラになったものを言います。

 現在、日本には十六体の即身仏があるそうですが、山形にはそのうちの八体があるという、異様に即身仏密度の高い地域です。で、この海向寺にはそのうちの二体があります。二体が同じお寺にあるのは全国でもここだけだそうです。

 現地につくと、お寺の婦人会の方という女性が案内してくださいました。口調もていねいな、学校の先生のような雰囲気の方でした。

 早速、即身仏堂に案内されました。
 お堂の中に厨子がふたつ並び、その中に即身仏がおられました。向かって左側が忠海上人、右側が円名海上人とおっしゃるそうです。お二方(?)共、あざやかなオレンジ色の袈裟にその身が包まれていました。おちくぼんだ眼窩、突き出た歯、枯れ枝のような手はぱっとイメージするミイラの姿そのもので、やはり最初はちょっとおっかなびっくりな気分になりました。

 不思議だったのは、顔や手がかりんとうみたいに黒光りしてることでした。たずねてみると、今から三十年以上前に最初で最後の補修作業が、ある大学(大学名は失念)の教授たちの手によって施された結果だそうです。

 そもそもなぜ即身仏になるかというと、現在の人々だけでなく末世の人々の苦しみを救うにはミイラとなって身体を残すほかない、という考えからだそうです。ただそれだけではなく、五十六億七千万年後に現れて人々を救う弥勒菩薩に会い、その教えを賜り悟りを開くために身体を残すという一面もあるそうです。(それ以外にも様々な理由や説があるそうですが)

 そのための準備というか修行がすごくて、まず山篭りをして木の実だけを少し食べて、身体の水分や脂肪分を徹底的に落とします。生きている間から即身仏に近い状態を作るわけです。それが終わると地下に掘られたたて穴にもぐりこみ、中で断食を続け、死ぬまでお経を読み続けます。中では鈴を鳴らし続けるのですが、それが聞こえなくなると、亡くなったということになります。その後三年三ヶ月に掘り起こすと、即身仏として身体が残っている、ということらしいです。もっとも失敗して腐ってしまうことや、忘れ去られてほったらかしになったままのものもあったらしい、とのことでした。

 ちなみに即身仏にはお願いごとをすると必ず叶えてくださるとのことだったので、家族や友人の健康をお願いしてきました。

 そのあとは本堂の方を案内していただきました。

 ご本尊の大日如来や、他のさまざまな仏様が並ぶ中、端っこの方に、真っ赤な身体のおびんづるさまがおられました。
 おびんづるさまは十六羅漢の第一尊者で、自分が悪いところと同じ箇所をなでると治るという信仰があります。もちろんここのおびんづるさまもあちこちぴっかぴか。私はとりあえず前の日におなかを壊してたので、おなかをなでなでしてきました。(当時はそれくらいですみましたが、今でしたらほとんど全身をなでさせていただいたかもしれません)

 一通り眺め終わって、案内の女性がいくつかお話をしてくださいました。

 最近ある高校生の女の子が見学にきたとき、さきほどのおびんづるさまの説明を聞いて、あなたも悪いところをなでてみたら、と言ったら胸のところを熱心になでたそうです。どこも悪いところはなさそうな女の子だったので、不思議に思った案内の女性がきいてみると「最近お父さんが死んで、ずっと胸が痛い」とぽつりとつぶやいたそうです。

 そして、天井を見てと促され、見上げると、本堂の天井にシャンデリアが下がっていました。古いお寺には明らかに似つかわしくないものでした。

 これはあるおばあさんが奉納したもので、そのおばあさんは戦後の若いころ、酒田にあった赤線地帯で働いていたそうです(そういう方は少し前までけっこういらしたとのこと)。で、ある時、おばあさんはシャンデリアをどうしてもこのお寺に納めたいと申し出てきたそうです。
 何かお願いごとが叶って感謝の意味で納めたのか、それともなにか他の思いがあったのかはわかりません。でもおばあさんのたっての願いは聞き入れられ、派手なシャンデリアは本堂を照らすことになった、とのことでした。

 そのお話しをうかがった後、私はあらためてシャンデリアを見上げました。ちょっと埃のかぶった、でも意匠のあざやかなシャンデリアに、私は気づくとそっと手を合わせていました。

いただいたサポートは今後の創作、生活の糧として、大事に大切に使わせていただきます。よろしくお願いできれば、本当に幸いです。