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僕は此処にいる スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース 【映画感想文】


注意

本noteはネタバレを過剰に含む。私などの文章に毎度毎度書く必要はないかもしれないと思うが、それでも今回はなおさらに書く。もし表題にある映画を未見であるならば今すぐパソコンを閉じて映画館に向かい字幕版のスパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバースを鑑賞されることを切に願う。

あらすじ

マルチバースを自由に移動できるようになった世界。マイルスは久々に姿を現したグウェンに導かれ、あるユニバースを訪れる。そこにはスパイダーマン2099ことミゲル・オハラやピーター・B・パーカーら、さまざまなユニバースから選ばれたスパイダーマンたちが集結していた。愛する人と世界を同時に救うことができないというスパイダーマンの哀しき運命を突きつけられるマイルスだったが、それでも両方を守り抜くことを誓う。しかし運命を変えようとする彼の前に無数のスパイダーマンが立ちはだかり、スパイダーマン同士の戦いが幕を開ける。

映画.com

感想

一部界隈にある強めの言葉で作品を褒め称える仕草はあまり好ましく思ってないのだが、今回はそれが大いに出てしまうことを許して欲しい。この作品を観て正気を失わない方が難しいと思うのだが如何か。

本noteを読んでいるということはスパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバースを観たのだろう。観たよね?ヤバすぎて壊れそうになったよね。私にとっては本当にマジで頭がおかしくなるかと思った程とんでもなく面白かった。エンディングまで格好良過ぎて頭を抱えたまま開いた口が塞がらなかった。マスクをしていなかったら小一時間はアホ面を晒して街を歩いていたと思う。脚本の完成度、絵作り、キャラクター、演出、映像技術、劇伴、字幕の翻訳、全てがあまりにもパーフェクトで製作陣に神か天使か悪魔の名前でも入ってないかと本気で疑った。人の手だけで作られたことが信じられない。でも当たり前だけど、そういうことになる。これを人が作った。多くの天才達が何年もの時間と労力と熱意と執念をかけてこれほどの作品を作った事実に心から打ち震えた。冗談抜きでこの作品の登場以前、以後でアニメーション作品に求められるハードルが全く変わってしまうんじゃないかというレベルの歴史的ターニングポイントとも言える作品だと感じたし、もはや世界文化遺産に登録するべきではないかと思って映画を鑑賞した後にボヤけた頭で世界文化遺産の定義を調べた。

wikipediaによると文化遺産の登録基準に(1) 人類の創造的才能を表現する傑作。とあるので十分に満たしていると言えるのではないかと思うが、他にもいくつかある条件から複数満たしていること、基本的に記念物、建造物群、遺跡が対象なことがあるようで、条件を満たさないのかもしれない。無理か、なんか類するものが与えられないか。アカデミー長編アニメ賞か。いやそんな今年のとかってレベルじゃないと思う。念の為文化遺産のwikipediaへのリンクはこちらへ。何が念の為なのかよくわからない。頭がおかしくなっているので許して欲しい。

これほどの作品に出会った記憶を辿ると2009年、今から14年前にヱヴァンゲリヲン新劇場版:破を観た時になる。都市を疾走する巨大人型兵器がありえないほど格好良くてどうやって生きてきたらこれを作れる人がこの世に存在するんだと本当にわからなかった。音楽も相まって何故か涙ぐんでしまったあの時は、この作品の完結を見届けたら、私は人生で思い残すことは無くなってしまうのではないかと本気で思ったがシンを観て良い意味で心変わりしたため、なんやかんやあって生きている。おかげで今回のスパイダーバース2に出会えたので、本当に人生はとりあえずでも続けてみるものだ。

映像制作に関しては近しい業界に勤めてはいたものの素人なので、偉そうなことは言えないのだが、破の時もこれはこれからの映像作品のハードルを上げたなと感じた。劇場作品の作画に3Dを積極的に活用した事例は元を辿ればもののけ姫のタタリ神などになるのかもしれないが、破が公開されたあの時代はゼーガペインやアクエリオン等を踏まえロボットアニメから始まったアニメ制作に3Dを用いるという行為が、これからの時代も見据えて背景やキャラクターにも波及し、それらの技術が業界標準に近しくなりだしていた時代だと思う。そんな時に、近距離のキャラ作画には3Dを下地にしたり原画のもとで描いた2Dを、遠景の派手なアクションには3Dをという演出による使い分けを行い、ただの視聴者の目線からするとほぼ意識できないレベルでハイクオリティな実用に至らしめたのが破だったのではないかと勝手に思っている。別に業界に詳しくないし歴史的に勉強したことない一オタクの妄想だ。間違ってたらマジでごめん。というかたぶん間違ってるので何言ってんだコイツくらいで流して欲しい。とにかくあの時私は、使っている技術とクオリティの世代が変わったなと感じた。同じことを今回も感じた。

それが完全にアメコミやハリウッドの文脈から登場したことに震えざるを得ない。別に近年の日本作品も私は大体好きだし素晴らしいと思っている。シン・エヴァもすずめの戸締まりもかがみの孤城も地球外少年少女も海獣の子供も鬼滅の刃もこの世界の片隅にも他にもいっぱい素晴らしい作品があるし好きな作品もいっぱいある。どちらが上で下で等は言うつもりはない。ただ、日本の漫画、アニメとアメコミは互いに影響を受け合っていたとしても、まったく違う文化を背景に持っている。そのアメコミがこれまでに形成してきたものの極致とも言えるものがこんな完成度で世に登場するのかと、本当に心から驚いた。水彩のような大胆なアートワークも並行世界を表現するタッチの違うスパイダーマン達もアメコミさながらの英語オノマトペによるカットインもあれもこれも多種多様で溢れ出して収集がつかなくなっても仕方ないほどの多くの要素が全て作品のために必要で、完璧な完成度で、調和がとれていた。

こんなことがありえるのかよ……。

内容に触れずに面白過ぎて驚いたということを書くだけで、いくらでも書けそうになってくる。いや本当に頭おかしくなるんだってこの作品……。この映画を観た人々がパーになっちまって世の中のサービスが止まっちまわないか心配になったもん。福岡の片田舎にいる無職のオタクと違ってみんな立派な大人だったね……。

吹替と字幕

内容に関しても話したいが、吹替と字幕を両方観た身として触れざるをえない話がある。この映画は100%字幕で観た方が良い。もちろんどうしてもやむにやまれぬ事情がある方はしょうがないと思うし、吹替にあたって演じた役者が悪かったわけでも文句が言いたくて怒ってる訳でもない。

ただ、まったくニュアンスが違うシーンがいくつかあった。

まず字幕で観る=キャラクターが英語で話しているスパイダーバースはめちゃくちゃ言葉選びに気を遣っている。そりゃもちろん吹替版も気を遣っているだろうが遣う方向性が全然違う。YESもNOもIもFirstもひとつひとつの単語にその単語を使った意味を考えさせられる。字幕を見ながらキャラが喋っている英語を聞くと、そういう意味でその言葉を使うの!!??っていう驚きが凄かった。これはシンプルに最近私が翻訳という作業に興味があって気になってしまったからというのもあるだろうが、それでも意識して聞くと非常に面白いと思えるはずだ。

日本語のキャラ付けは語尾や一人称で概ね行われる。行われてしまう。男性キャラが自分のことを僕と言うか俺と言うか私と言うか、語尾がですますなのか、だよねなのかだぜなのか。そういった違いが日本語だとわかりやすく出てしまう。方言は訛りのような形で表されることもあるが、そこまでは私も普段から感受しきれていない。英語は年齢や立場が違えど統一された言葉がある。厳密に言うと違うのだが、逆に言えば厳密に言うと違うからこそ、そこで意図的に違う語彙を用いることが特別なキャラ付けを持たせていたり、育ちや文化的背景を表現していたりする。そして同じ言葉を使う場合でも表情や語気や身振り手振りでまったく印象が変わる。英語によるキャラ付けは日本語で行われるそれと全然違う味付けがある。

特にミゲルだ。本当に全然印象が違う。吹替版だと不機嫌ながら子供を諭している好青年のような印象を少し持つ。終盤こそ厳しい言葉が増えるが登場時は滲み出る優しさのようなものがある。字幕だと、もっとマイルスへの不満がダイレクトに出ていた。我儘な子供を叱責するような、現実に疲れた大人がヒステリックになってしまっているような切羽詰まったものを感じた。

それよりも前に、映画開幕のグウェンのやりとりの時点でもう印象が全然違う。バンドメンバーからグウェンに対してもっと会話してよ!って言われるシーンなのだが、そこで普遍的な挨拶としてHow are you?に対してI fine thank you and you ?と返しながら不機嫌そうに(内心は悲しみながら)退出するグウェンのシーンで、これは英語で使う日常的で教科書的なやり取りを演技演出的に扱ったシーンだと思うのだが、これが日本語に訳されているとピンとこない。というか状況に合う日本語がないのだと思う。「調子はどう?」なんてなかなか日常で使わない。「最近どう?」くらいならあるかもしれないが。日本語の基本は挨拶と謝辞だ。「おはようございます」「おつかれさまです」がコミュニケーションの基本でしょって感じになるがそれが適切なシーンではない。近しいものでいえば「もうかりまっか」「ぼちぼちでんな」になるのかもしれないが、有名であってもそれは日本における一般的なやりとりではないし、当然シーンに合わない。

だから吹替が悪いのかって言うとそうではない。この作品は英語で構成されているということだ。

それに表現したいニュアンスを全て吹替で伝えようとするとキャラの口の動きと合わない。当然キャラの口に日本語の言葉数で合わせようとすると会話において伝え合っている情報量も合わなくなる。英語だと十分に表現できていたシーンが日本語だと若干シュールで言葉足らずなシーンになっていた箇所もでる。これはもう致し方ない。私としてもやりようが思い浮かばない。それでも問題ない吹替作品もあると思うが、今作は言葉にめちゃくちゃ気が遣われている。私はNoの使い方とFirstが特に耳に残った。Noは最初にミゲルがNoしか言えないのか?と言われるシーンやグウェンがピーターやマイルスに駆け寄るシーン。日本語だと「ダメだ」であったり「嘘嘘嘘」や「ダメダメダメ」のように吹き替えられていたが、これがどちらもNoなのが面白い。日本語であっても語彙が無くなるみたいな表現があるが、英語ではナチュラルにこれが起こっている。そして語彙がなくなっているのではなく、込められたニュアンスが違うことが日常的にある。
そして初めの、始まりのという意味でFirst、ミゲルとの軌道エレベーター上でのやり取りでマイルスが「お前が初めの異分子だ」と言われるが、ここでFirstが用いられる。この何が今回の物語の始まりかって話は一貫して今回の映画で話題に上がる。スポットが登場した際も彼はマイルスがキングピンとの戦いで施設をぶっ壊したところが始まりだと言う。お母さんがマイルスにあなたが立っている場所はマイルスが始まりではなく過去の人々の積み重ねがあると言う。スパイダーマンという存在はカノン事象が繋げてしまう物語の始まりから逃げられないという、そして今回の事態はマイルスという本来存在しなかった存在が始めたものだと言う。今回のスパイダーバースは様々な要素が複雑に絡まり合い表現されているが、ゴチャつきを感じない。一貫した物語に感じる。その要因として意図的に物語の繋がりを強調する場面で遣われている語彙を似せていたように私には聞こえた。そしてそれ以外のユーモアやセンスの場面では各キャラクターが自由な言葉遣いをする。その言葉の対比が全体の完成度を高めているように感じた。

というかマイルスというキャラクターが吹き替えるにはもうムズい。移民の血筋があり、頭は良いが日常とスパイダーマンの間で複雑な少年期から青年期を過ごしていて、それでもユーモラスな語彙と発想とアーティスティックな才能を持つという何を喋らせるかが重要なキャラクター性を持っている存在だ。彼が喋る冗談ひとつをとってもアメリカの若者らしさが損なわれてはいけない。

吹替が悪いのではなく、日本語が合わないのだ。ノイズになっている。英語で話されることが作品において重要なファクターになっている。だから本当に字幕で観て欲しい。

あとマイルスの父親の署長就任パーティの時に屋上で母親からマイルスに対して重要な話がされるが、あの話がミゲルとマイルスの問答の感動、バース42でのマイルスの告白の感動を生む。その繋がりが吹替だとまったく表現できていない。特に吹替版ではバース42での告白シーンはマイルスがイキったやつにみたいになっていて正直に言ってこれでは最悪だろうと思ってしまった。前作と比べて立派に成長していたマイルスがさらに大人への階段を踏み出し自己が立っている場所の価値と自我の確立を描き、スパイダーマンという伝統ある秘密を抱えたヒーローが家族に正体を打ち明け、なおかつそれがバース違いにより伝わらなかったという超重要なシーンなのに。なのに!!!あぁ!!!!!!!!

ハァ……ハァ……余談だが、ネットで見かけた意見としてミゲルとのやり取りのシーンなのだが、マイルスは厄介スパイディファンからしこたま叩かれた話があり、ピーターでやれと言われるそれらを製作者達がメタ的に跳ね除けたシーンでもあると書かれているのを見て、なるほどそういう見方もあるのかと思った。これも私が知らなかった文化的背景の面白さの一つだ。

とにかく英語で会話しているスパイダーバースは吹替版とは情報の受け取り方がまったく違う。
私は英語話者ではないし、正直に言ってプログラミングで使用する以外はそこまで得意ではないのだが、マイルスの多様な返答やNoやFirstという語彙の使い方など英語の言語としての面白さもふんだんに感じられる作品だった。
日本語の面白さって側面でI love youを月が綺麗ですねと訳するみたいな話があり私もそれ自体は面白いと思っているが、逆に英語の大事なことはシンプルな単語で伝えるという言語の力強さみたいなものにも面白さがある。英語を頭から素直に訳していくと日本語で言う倒置法のようになるが、そうなるおかげで言葉の強調の仕方が日本語とまるで違う。言語は文化の入り口であると言われるが、こういうことだったのかと勝手に納得していた。

かなり余談になってしまった。それらも含めて、字幕版で観るスパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバースは神映画だ。ビヨンドが楽しみすぎて生きる活力が湧いて後回しにしていたタスクが今日までに全て片付いた。サンキューマイルス。最高だぜ。

ここまでの語りは置いといてとにかくキャラクターが最高

字幕と翻訳について長々と書いたが、そんなことは実際の所、私の勝手な妄想が多分に含まれているのでどうでも良くて、グウェンがクソ可愛い。パンクがクソイケてる。インディアが最高にインド。2099もウーマンもデザインが良すぎる。ピーターがめっちゃお父さんやってる。泣くて……。前作もマジで最高の映画だなぁと思っていたが今回こんな1にハマった人も大満足させながら新キャラ出しまくるのそれだけでも最高だ。
最近RRRを見ていたのでインディアのジャンプポーズがしっかりインド映画なのがわかってウケた。細かいところも全て良すぎるんだこの映画。

そしてなによりもスポットだ。
かっこいい……。こういう登場時に茶目っけと情けなさがあるやつがその世界においても最上位の敵役になるの最高すぎるんだよな…………。最初に自己紹介した時はあんなに頼りなさげだったのに、恐怖感がしっかりある。
誰を、何をラスボスにするのか、なぜ戦うのかはヒーローもの、ひいては多くの物語で頭を悩ませる点だと思うが、ちゃんとこういうゾワゾワするキャラクターが出てくるの本当に凄い。

私は今まで一番の映画は何か?と聞かれて答えるのに困っていた。私にとっての最高と、私が答えてしまうことで偶然の出会いが失われる機会損失と、世代や年代や時流によって感じ方が変わってしまうことを恐れて、答えあぐねていた。それでも私は今回でスパイダーバースだと答えてもいいかもしれないと思ったほどに凄い作品だと感じた。やべぇよスパイダーバース。

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