長編小説『処刑勇者は拷問好き王子を処刑する。命乞いをしてももう遅い【人体破壊魔法】特化でサクサク、サクリファイス 第2話「オペラ座のクリスティーヌへ」

 人の不幸は蜜の味。似たような意味で「シャーデンフロイデ」というドイツ語も存在する。でも、俺は元々頭悪いからさ。こう言っちゃうよな。

「サクサク、処刑(サクリファイス)」

 独り言を俺は上機嫌でつぶやく。サクリファイスは生贄って意味らしい。俺はそんなこととはつゆ知らずに、処刑のことをすっかりサクリファイスで覚えている。

 だが、この異世界ファントアで俺の英語が間違っていることなど誰も指摘するはずもなく、俺は自由気ままに殺戮を楽しむことにする。この決意は揺るがないし、揺るがせない。

 リフニア国の衛兵の首に人差し指をかざして喉をかき切る。衛兵の首には横に一本の赤い線が走る。血の線。痛みを感じたときには滲《にじ》み出た雫が喉を伝うだろう。あわあわと口を開きかけた衛兵。

 じわりと傷口が口を開けて広がっていくのが見てとれる。首を跳ね飛ばすほどの切断魔法もある。でも、俺はじっくり処刑するのが好きだ。だってほら、俺は拷問されて処刑されたんだ。痛みは一瞬ではなく、何時間、何日、何週間にも渡って与えられ続けた。

 俺は今解放されているはずなのに、あのときの鞭の痛みが、幻肢痛みたいに背中に蘇る。俺は確実に覚えている。忘れることもできない。俺は呪われている。

 魔法や呪いの存在する世界で、俺は痛みや苦痛に囚われている。俺は、俺の身体がかわいい。救ってやりたい。俺は一度死んでいるんだ。俺は俺を救う。今は女神フロラ様から与えられた新品の身体だ。この細い指だって、ちょっと女臭くなったのを除けば生前の俺そっくり。相変わらずの銀髪で、日本人にはとても見えないけど。

 俺の指は人体破壊魔法の一つである切断魔法でメスの切れ味を持っているが、急いでいるときでない限りじわじわと処刑する。そう、リフニア国の衛兵ならいくらでも殺して構わない。俺は優しいから、俺が手をかける者には死の自覚を与えてやる。即死級の技を出すと自分が何故死んだのか分からなくなって可哀そうだろう?

 衛兵が喉からほとばしる血を両手で受け止めようと、もがくのが滑稽だ。助けを呼ぼうと振り向いてももう遅い。どっと俺の足元に転がって、このオペラ座の赤い絨毯にその血を塗り広げる。

「エリク王子様に早く会いたいもんだ」

「キーレ! むやみやたらに殺したら駄目って、言ってるでしょ」

 俺の首につけたチョーカーの漆黒の宝石から、ピクシー妖精のリディが飛び出してくる。俺が、こうして処刑後に生き返って復讐に走るのをいちいち止めに入る、うっとうしい妖精だ。

 服は真っ黒で邪悪な相棒に相応しいと、思っているのだが、こいつは俺に説教をしたいらしい。おまけに彼女は童話に出てくる妖精にそっくりで、愛くるしい。年齢不詳だけど、十五歳の俺より年上な感じがする。

 二十歳は越えてるかもな。だけど、この怒り方はふざけてるのか? 母親みたいな物言いだな。ま、俺の母親なんて最初からいなかったようなもんだから、異世界で母親面をされても困るだけなんだけどな。

「こいつは、俺をあのときの廊下で、槍を持って俺を脅した」

 俺は地下牢の拷問部屋に入れられる前にも色々と酷い目に遭っている。全ての衛兵が俺のことを目の仇にしているんだ。殺られる前に殺らなくてどうする。俺は二度も死ぬわけにはいかない。

「女神フロラ様は、あんたに幸せになってもらいたいから生き返らせたこと。忘れないで」

 きつい口調だったけど、最後の方だけ尻すぼみになるリディの声。そういう、同情みたいな感情って同情される身としては苛々してくる。俺は、復讐の機会を与えられて幸せを確実につかんでみせる。エリク王子を殺すときは天にも昇る気持ちになれるぞ。今から俺は幸せになることができる確信がある。

 玄関ホールから廊下を突き進むと、オペラ座の歌姫の声が聞こえてくる。もう開幕しているようだ。エリク王子の悲鳴好きは、もしかしたらあの甲高い声に感化されているのではないだろうか。

 俺が今から観客を全員血で染め上げてやろうかな? それから俺一人で拍手して劇場にその音を木霊させようか。鑑賞している王子はどんな顔をするかな? だめだだめだと、はやる気持ちを首を振って沈める。

「今日はエリク王子にサプライズするだけだって」

「観客は攻撃したら駄目」

 あー、うっとうしいことこの上ない。どうして、俺の考えていることが分かるの? 年上だから? それとも女神フロラ様の使いとして俺を監督しているのか。

 ここの観客だって、俺の処刑を待ち望んでいた人間どもに決まっている。リフニア国民は、勇者の処刑を嘲笑った。この俺をな。俺が火あぶりにされた日、この国の過半数が処刑の見学に訪れたことを俺は忘れないぞ。

 俺はエンターテイメントよろしく、リフニア国中の笑い者となって死んだ。俺はリフニア国民を誰一人として許さない。ここで誓いを立てようか? リフニア国を滅ぼしてやると。

 でも、まずはエリク王子。俺の本当に貶めて殺したい人間は、後にも先にも王子一人だ。死んだはずの俺が、こうして生きている姿を見るとどんな顔をするだろうか? きっと開いた口が塞がらなくなって、泣き面になるんじゃないだろうか? 

 我ながら恐ろしいもんだ。血が通っているが、俺の肉体であって俺の肉体じゃない。この異世界は俺の常識を遥かにしのぐ。俺は何度自分の指に傷をつけてこの身体が本物か確かめたことか。痛覚、流れる血も全て本物。でも、俺の日本人としてのアイデンティティーは意識でしか残っていない。俺は俺でありながら、肉体は俺のものではない。

 オペラ座には、防音魔法のほかに王子が来席するときは来賓結界を張る。チケット所有者以外の人間を弾き出すことができるほか、結界内に入ると不審者をオーラで表示する空間魔法が張られている。

 だけど、残念なことに俺の指にまとわせた切断魔法は、結界系統の魔法は全て切断することができるんだよな。

 受付の女も喉をかき切って殺し、俺は結界も指で切断する。このメスの切れ味は、我ながらたまらなく愛おしい。

 古くは八十年代ホラー映画全盛期、エルム街の悪夢の殺人鬼フレディことフレッド・クルーガーは、爪を自作している。ああそうとも、俺の指は乙女を切り裂くために存在している。

 今日の公演にはエリク王子のほか、当然のようにマルセルも同席していることだろう。俺の元仲間で回復師のマルセルは、今は王子と結婚してリフニア国の姫になっていると町民の噂で聞いている。

 それから、拷問部屋で俺の腹に穴をあけた王国騎士団の団長であるヴィクトルも王子がいるのなら、警備を担当しているはずだ。

 つまり、俺の処刑したい人物であるエリク王子、マルセル姫、騎士団長ヴィクトルが全てこのオペラ座に居合わせていることになる。あと、おまけに側近モルガンも。あいつはただの腰巾着だから処刑する価値もないけど。

 オペラ座の舞台裏。エリク王子とマルセルに向けてのサプライズをするのならば、一番の驚きはきっと、俺の存在そのものだろう。

 俺だって魔法の存在する世界であれ、そう簡単に人間が生き返ることなどあっていい道理はないと思っているぞ。だけど、俺は生き返った。この奇跡を俺は謳歌するつもりだ。この高揚感は誰にも止められない。同時に俺は飢えている。

 俺以外の人間が幸福であることに嫉妬している。ここがオペラ座ということもあり、俺はクリスティーヌを奪いに行く怪人を演じることになるが、生憎芸術に関しての才能はないし、マルセルにもない。あの女が持ち得る才能があるとすればベッドでの心得だろう。

 でも俺の動機としては十分だ。マルセルの肌が好きだ。俺の元を去って何年も経つように感じて身もだえする。俺は俺の腕をさすることしかできない。どうあがいても心の隙間を埋められない。今を不幸だとは思わないが、不幸な過去を辿ったことは取り消すことができない。消しゴムが欲しい。

 ここの観客の奴ら、つまりリフニア国の人間も、勇者の俺の苦労を何も知らない時流に流されやすい馬鹿どもで幸福な奴らだ。本命はマルセルだが、こいつらを巻き添えにしても心は痛まない。

 さて、歌姫とは面識がないけれど俺の贈り物としての死を、観客や王子をびびらせるためにもオペラ座の歌姫に担って頂きましょうか。舞台の裏に回ることは誰かを殺すまでもなかった。

 そりゃそうだ。入場チケットは一度使うと何度も確認するものではない。後は演出だよな。俺は勇者としてこの身の復活を知らしめなけらならない。そして、マルセルとエリク王子を絶望させてやるんだ。

 さあ、オペラ座の照明を全て落とそうか。

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