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HURRY GO ROUND


––––もし一日だけhideに逢えたら何をしたいか?


「話をすると思う」


––––どんな?


「Ja, Zooはあれで良かったの?・・・とか」

映画「HURRY GO ROUND」の一場面


 映画『HURRY GO ROUND』の一場面。答えているのはもちろん、INAである。


「Ja, Zooはあれで良かったの・・・?」


 10年以上、Xに関する書籍や映像に目を通して来たからこそ、この言葉の重みがわかる。得も云われぬような感慨を覚えさせられた。


 映画『JUNK STORY』でもINAは同様のことを云っている。


「本当に知りたい、聞きたいと思うのは、彼と一緒に最後まで作ったJa, Zoo。それが一番聞きたい」


「これで良かったのか、というのが今でもある。hideちゃんに対してね。それはもう本当、今でも思ってる。当時はもちろんだしね」

映画「JUNK STORY」


 hide不在の中、INAがどれだけ苦心しながら最後の仕上げまで持って行ったのかがこういった言葉に詰まっている。ファンのひとりとして、Ja, Zooを完成させて発表してくれたことに感謝の気持ちが溢れる。

蔦は絡まり 身は朽ち果てて
思い出の欠片 土に帰り
また花となるでしょう
Like a merry-go-round & round
また春に会いましょう

「HURRY GO ROUND」 hide


 輪廻転生を歌ったとされるこの歌は決して遺書ではない。なぜなら、「生き溺れても、また春に会おう」と約束を交わした歌だから。この歌とともに春の訪れと、hideが再びファンのみんなに会いに舞い降りてきていることを感じる。


 神道には人が亡くなると神となるという考えがある。つまり不帰の人となっても、現世に生きる人を見守ってくれるということと解釈できるだろう。なんとロマンのある概念だろうか。ともすれば、hideはぼくらファンのことをあの優しげな笑顔で見守ってくれていることだろう。


 あるいは仏法の輪廻転生や、生まれ変わりもそう。輪廻転生には諸説あるが、単純に生まれ変わりがあるのだとすれば、hideはすでに生まれ変わり、すでにどこかでファンのことを見守ってくれていることだろう。ならば、生まれ変わりという概念もまた、ロマンがある。


「生き溺れても、必ず春に会う」


 つまり、どんなに辛くても、苦しくても、生きていれば春に会える。私はそう解釈する。



 それが「我がmerry-go-round & round」である。


 5月2日8時52分––––

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 hideと出逢わなければ、ヴィジュアル系を題材にしたこの小説も生まれなかっただろう。


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