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ギターを弾かないギター教室

 飯田橋から、「クレヨンしんちゃん」で有名な双葉社に向かう道の手前、100メートルほどのところにあるマンション。私は月に一回、このマンションの一室に通っている。通い始めて、今日で4回目である。
 先生は、ジャズギターが専門の方。実は、ジャズギターを習おうと思って、この教室に決めたわけではない。単純にロックのギターテクニックが上達し、一人で弾いて何とかなる様になればいいな、という程度だった。この志の低さを、初日に見抜かれてしまったからなのかも知れない。「礼には例を。非礼には寛容を」とか言うらしいが。
 4回目の教室も、「音階の種類」で始まった。しかし、覚えているの全く違う話。
「noteをはじめまして、一週間あまりでフォロワーが100あまりになったんですが」
「それは、すごい方ですよ」
「で、その中で、一番“スキ”が多かった文章は、“ヒット曲を作るには、量か質か?”という記事でした」
「なるほど、それは面白そうですね」
「先生は、どっちだと思いますか」
「私は、“質”だと思いますが」
「それは、喧嘩別れしたボーカルと同じ意見ですね。質というならば、いい曲を作るには、いい曲から学べば、わかるものだと思うっているんですが、どうでしょうか」
「それも違います。そうだとすると、過去の作曲家よりも、現代や未来の作曲家の方が、いい曲の蓄積の量からみれば、いい曲を作れる確率が高くなるということになりますよね」
「確かに、いい曲を聴いて、そこから学べば、過去より現代未来の方が、いい曲ができる確率が高くなることになります」
「じゃあ、モーツアルトやバッハの曲は、過去から学んで作られ、現代の曲よりも劣っているということになりますよね」
「確かに、そうは思えない。現代でも、バッハやモーツアルトを超えた曲というのは、聞いたいことがないです」
「いい曲は、その曲を作り出した人の、資質によるのだと思います」
「だから、いい曲を越えられないということですか。すると、天性の素質を持っていない人間には、いい曲を作ることはできないということでしょうか」
 結論から言うと、最終的にどっちなのか良くはわからなかった。
“ヒットした曲は、いい曲”で、“オリジナリティーのある曲はヒットする曲なのか”という問題に行き当ってしまった。
「NHKの朝ドラのバンプ・オブ・チキンの“なないろ”という曲を聞いて、聞いたとたんにバンプだとわかった。それって、バンドの個性が維持されているということですよね」
「確かに、バンドの個性といものが、曲に体現されていますよね」
「私は、沢山の曲を作って、それを何度も世に問う。それを繰り返しているうちに、自分の個性が滲み出るように生まれてくる、と信じて、できるだけ沢山の曲を作ろうと、努力してきました」
「私も最初のころは、そう思って、同じようにやっていました。でも、間違いであることに気づいたんです」
「間違いですか?」
 こんな感じで、結論は見えてこなかった。話は堂々巡りして、結局、この回も、ギター教室なのに、一度もギターを弾くことなく、時間が過ぎてしまった。
 帰り際、見送りに出てきた先生に言った。
「今日も、一度もギターを弾きませんでしたけれども、真剣勝負みたいな会話で、充実した時間でした。また楽しみにしています」
「ありがとうございます」
 そういって私の姿が見えなくなるまで、先生はいつまでも見送ってくれた。

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