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妻の揺れる心

 指導的立場の男性カメラマンに、社内のある女性について尋ねた。
「Nさんについて、知ってますか?」
「知らない」
 単刀直入な解答。
「会社が今の場所に移る前から勤めていたと言ってたから、もう17、8年間勤めている女性です」
 それでも彼は彼女の存在を知らなかった。部署が違えば、横の交流がない限りお互いに知らないのは、ありがちな話。
「彼女の趣味は観劇と美術館巡りだと聞き出したものだから、美術館巡り、今度ご一緒しませんかと誘ったんですよ」
「彼女は独り身なの?」
「軽い要介護の母親と二人暮らしのようなんだけど」
「そんな女性と、蜻蛉さんはどこで知り合うの?」
「ここですよ。送り迎えの助手席で」
 彼は納得した。
「同じ部署で、アテンドの上手な女性がいるんですよ。先だって亡くなられたご高齢の元会長のアテンドで細かな気配りができる方でした」
「アテンドって、どこで見たの?」
「車の中ですよ」
「……」
 カメラマンの彼としては、ほんのわずかな時間の間に私が色々観察しているんだなと、感心した様子。
「美術館巡りを誘った彼女は、以前にストーカー行為で悩んだことがある様で、僕と気軽に言葉を交わす様になるまで、5、6年かかりました」
 カメラマンの彼からは、なんの反応も無かった。すでに彼の想像の範疇を超えてしまった様子。
 そう言えば、去年のバレンタイン・デー、その彼女からそれとなくチョコレートをいただいた。その時の雰囲気としては、チョコレートのお裾分け的な雰囲気だった。
『私が食べたかったから買ったんだけど、良かったらいかがですか?』
 的な雰囲気で渡された。その時以外には、彼女から何かをもらつた事はない。もしかしたら、今年は義理チョコの雰囲気を匂わせながら、チョコレートが来るかも。

 そんなことを呑気にに夢想しながら、テレビを見た。
 生物学者で歌人の永田和弘と、その妻で歌人の河野裕子のドキュメンタリー番組だった。
 その中で紹介された一句に、私の心は凍りついた。

訊くことはつひになかったほんたうに俺でよかったのかと訊けなかったのだ         
                              
永田和宏

 十五年前に他界した妻も、どこか歌人の河野裕子に似ていた。
 妻と河野裕子が重なって蘇ってきた。
 僕は君と一緒になれて本当に幸せだった。だけど、君はどうだったの?  
 僕と一緒になって幸せでしたか?

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