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新たな歴史の研究成果を、喜びと共に迎える苦しみ

 俵屋宗達に関する新しい研究の資料を読み込んでいる。お陰でエキサイティングな日々を送ることが出来ている。しかし、同時にこれまでの定説とは違った説が紹介されており、どのように小説の中に取り込もうか、苦慮している。自分で思い描いていたストーリーと違うため、前後の脈略の修正が必要となっている。新しい研究成果は嬉しいのだが、これまでの定説とは違って来る分、築き上げてきたモチベーションに水を指すことになる。お陰で、もう一度気持ちを立て直す必要に迫られる。
 例えば俵屋宗達の店が当時、京都のどの辺りにあったとか。また、その支店が、どこそこにあっただとか。うーん、情報としては嬉しいのだが、その処理が新たな問題となる。
 さらには彼の絵が描かれている紙の詳細とかも明らかになってきている。また、彼の作品に一貫して流れている絵に込めた思いについても、具体的にどの絵のどの箇所かを指摘して説明されている。
 時代が進むとともに新たな研究成果が発表されることは評価に値する。しかし、それと反比例して作家の想像力の活躍の範囲が狭くなって行く。楽しみを少しずつ奪われているように思えて来る。
 逆の発想からすれば、これまでに何人もの作家によって描かれてきた一人の人物の歴史小説を新たな視点と研究成果をもとにした最新の歴史小説を仕上げる意義が、そこに成立する訳でもあると思う。
 歴史上の人物の新しい研究成果を目の当たりにして、新たな喜びと困惑とを交互に味わいながら、今日も朝の通勤の地下鉄の吊革に掴まりながら、スマホをポチポチしている。

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