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森八の「長生殿」に、濃厚な時の流れ

 稽古を終えて帰り支度をしている30歳前後の和服の姉弟子。風呂敷を広げて荷物をまとめている彼女に、声をかけた。

「茶道を習わなければ、風呂敷なんて使う機会がありませんでしたよね。使ってみると意外と便利で」

「私は、普段でも風呂敷を持ち歩いています」

 彼女はにこやかに、そう返してきた。図に乗って私は、

「着物の色合いも春らしくて、良いですね」

「ありがとうございます」

 彼女は「ご機嫌よう」の教室のあいさつの言葉を残して帰って行った。教室に残っている者からパラパラと「ご機嫌よう」の声が返って来た。ありふれた茶道教室の昼下がり光景である。

 茶道教室のこんな日常の風景の中にいる事を、幸せに感じる様になった。

 教室に通い始めたきっかけは、歴史小説を書くための取材が目的だった。たかが礼儀作法と思いながら、最初に抱いていたイメージからかなり離れた様に思える。教室通いが手段であったはずなのに、今では目的になっている。生活の中で占める割合が大きくなっていることに、戸惑いを感じている。

 先日「明日、家族にお点前を披露します」と先生に話した所、帰り際に人数分の生の和菓子をいただいた。おかげで家族は生菓子に対して、大いに感動してくれた。そのお礼にと、

「家族へのお点前を通して、茶道の一つがわかった様な気がしました」

 と一言添えて、金沢の名店、森八の「長生殿」をお返しに差し出した。先生はお菓子を受け取りながら、

「長生殿、好きです。こんなに沢山いただいて」

 と、喜んでくれた。「長生殿」は加賀藩三代藩主前田利常の創意と小堀遠州の命名、揮毫によって生まれた。以来、三百数十年の歴史を持つ日本三名菓の一つといわれている干菓子。

 先生との他愛の無い日常のやり取り。相手への気配り、気遣いがもたらしてくれる心地好い時の流れを、感じさせていただいた。



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