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『お点前』は『感動を与えるART』になれるのか?

「食は三代、衣は四代」とか言います。食べ物の「良し悪し」を決める味覚が固まるのに三代かかり、ファッションセンスは四代かかる、と。では、50日間だと、何が分かるようになるのだろうか。
「盆略点前」の先生による「拝見」から、50日間が過ぎた。その間、平均1日3回のお点前をこなしたとして、すでに150回は一人で点てて一人で抹茶を飲み干したことになる。
 昨日、お点前の稽古をしながら、
「綺麗なお点前をできる様になりたい」
 と思った。
 以前は、
「とにかく、お点前を出来る様になりたい」
 という意識でお稽古をしていた。だから、進歩したのかもしれない。しかし、自分の意識のそうした変化に疑問を感じた。どうして『出来る様に』から『綺麗に』に変わったのか、と言うことである。
 150回のお点前のお稽古は、確実に自分の中の『お点前』に対する認識に変化をもたらしたようだ。
 たかが、作法に乗っ取った所作でしかない「お点前」なのだが、『綺麗なお点前』は『美しいと感動させる』要素があると、自分の意識が変化しだした。
 先日までは「お点前」は、単なる『ハード』であって、『SNS』の様な「道具」でしかないと思っていた。しかし、近頃は『感動』を与えることができる、所作そのものが『生きる力を与えるART(アート)』なのかも知れないと思うようになった。

 見る人に「感動と生きる力」を与えるパフォーマンスとしての「お点前」が存在する!

 と……。
 そう思うと、「お客の作法へのダメ出し」をして「居残り見学」を私に強要した茶道教室の先生を、
「蜻蛉さん、美味しくね。うっ。今日の蜻蛉さん、ちょっと違うみたい…」
 と、次回のお稽古では、唸らせてやるぞ! 
 右手の角度が、変? もっと大木を抱くように。一つ一つの所作をきちっと終えてからの次の動作へ。うーん、今日の抹茶はちょっと苦い。泡が細かいと甘く感じる、はず。それともツルツルのお茶碗がいけない? でも、ザラザラのお茶碗もダメだとか。やはり水は、どこぞの石清水。名水百選か………。塩素たっぷりの水道水じゃダメか。
『美』の追求には、終わりがない。

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