見出し画像

人はちょっと話すだけで、より理解できる

 以前、「若造、付いて行くぞ!」で紹介した茶道の新しい先生だが。まだ、30歳台半ばの感じの男性。
 おっしょさんが用事があるというので教室を出られて、新しい先生と二人きりになった。おっしょさんが教室を出るときS先生に一言言った。
「カゲロウさん の手は、I先生に似てますよね」
 と。
「そうですね。I先生の手に似てますよね」
 とS先生が相槌を打つと、おっしょさんは
「そうでしょ。ホッホッホッ」
 と微笑んでみせた。
 おっしょさんが教室を出られた後、すかさず、
「私の手がI先生の手に似てるんですか。I先生とはどなたですか?」
 と尋ねた。S先生は、
「業体先生でいらっしゃるんです、I先生という方が」
 と答えた。
「業体ですか。確かお家元のすぐ下で、お家元の代わりに色々となさっている方だと記憶にあるんですが」
「そうです。私は、その方に茶道を習ったんです。全寮制の学校で3年間。だから茶懐石のお料理からお菓子からお庭のことやら、茶道に関わることは全て一人で出来ます」
 とS先生は話してくれた。やはり「ただ者ではない」と直感した人を判断する私のアンテナは、間違っていなかった。これはいい機会を得たと早速、質問責めにした。
「私は前回は長谷川等伯の小説を書いたので千利休との関係を学ばせていただく上で、教室には大変お世話になりました。次の作品は俵屋宗達を書くために、いま資料を読み込んでいます。俵屋宗達は琳派の始まりの絵師です。岡倉天心のTHE BOOK OF TEAの中で、光琳派は全て茶道の表現である、と書いています。先生は、どう思われますか?」
「うーん。茶道の人間には二種類あると思います」
 私は思わず、彼の言葉に食い下がった。
「茶道には二種類の人間がいるとおっしゃいますと、それはどういうことでしょうか」
 S先生はしばらく考えて、おもむろに答えた。
「一つは、お道具を人に見せる人。もう一つは、自分を磨いて自分を見せる人。この二種類に集約されると思います」
「なるほど。THE BOOK OF TEAの中で岡倉天心は、宗匠は芸術家になるのではなく芸術そのものになろうとしているのであるとありました。つまり、宗匠のお点前はもちろん、立ち居振る舞いや彼の一言一言の全てが芸術であろうとしていると」
「そうかも知れませんね」
 最初、S先生を見たとき、ちょっとチャラいかもと思った。しかし、お稽古の最中の彼の指摘は、私の心を鷲掴みにした。それ以来、
『この人はちょっと違う。奥が深そうだ』
 と感じた。やはり、私のアンテナは間違っていなかったと、自信を持ってしまったのもつかの間、お点前のオーディションの日を間違えて、教室にご迷惑をかけしてしまった。
 偉そうなことを言っている割には、我ながら、元も子もない。


創作活動が円滑になるように、取材費をサポートしていただければ、幸いです。