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大掃除のお化け

小学校四年の頃、実家の二軒隣に同い年のMちゃんが引っ越して来た。
周りが日本風のしぶい家ばかりの中、Mちゃんの家は洋風の新築で、レンガ造りの壁がビスケットみたいで可愛かった。Mちゃんのお母さんも、うちの母や近所の奥さんたちのような「田舎のおばさん」ではなく、白やピンクのブラウスの似合う、子供心にも可愛い、女らしい人だった。

その年の大晦日、私は母に命じられ実家の表を掃除していた。
ホースの冷たい水で袖を濡らし、塀をブラシでゴシゴシこすっていると――前の坂道を女の人がこちらへ駆け上がって来た。その女の人は右腕をぶんぶんと大きく振り回しながら、「うあああああ! うあああああ!」と、唸るような叫ぶような奇声を発している。
近付いて来てわかった。その人は普段とは似ても似つかない様子の、Mちゃんのお母さんだった。
掃除のためだろうか、いつもは綺麗な服を着ているのに、その日はスポーツ用のシャカシャカしたズボンにセーターという格好。そしてそれ以上に、顔つきが全然違う。いつも控えめで優しそうなMちゃんのお母さんが、そのときは目を三角形にし、筋と皺で顔をくちゃくちゃにして、目の前の何かをギンッと睨んでいた。振り上げた右腕は、その「何か」をぶつためのようだった。
叩かれる――私はとっさにそう思った。表には他に、私以外誰もいなかったからだ。
けれどもMちゃんのお母さんは、そのまま私を素通りしてどこかへ走り去ってしまった。Mちゃんたち家族が追い掛けて来る様子はなかった。

年が明けて一月二日の昼、坂の上の公園でMちゃんを見掛けた。
お母さんについて聞くと、Mちゃんは、「あー」と、どこか冷めた様子で言った。
「大掃除のとき変になるねん。あの人」
Mちゃんによれば、お母さんは毎年、小学校の終業式が済んだ頃からその「モード」になるらしい。
「予定表作んねん、大掃除の。めっちゃおっきい紙に五色のボールペンでびっしり。細かいし目えチカチカするし、誰も読まれへんねんけど」
Mちゃんのお母さんにとって、その『予定表』は絶対なのだそうだ。家族が掃除を嫌がるなど予定を狂わせることをすると、「私を苦しめる気か」「お前たちにいじめられて私は死んでしまう」「お前もお前もお前もおかしい! おかしい! おかしい!」と、半狂乱になる。
「すごいよ。服破けるくらい掴みかかってくるし、顔も鬼みたいやし。だからお父さんも私も嫌々、掃除するんやけど」
そんな状態が大晦日まで続くという。
そしてこれも毎年、十二月三十一日の午後三時から四時くらいになると、お母さんは突然、「ギャーッ」と金切声を上げ、家を飛び出すのだそうだ。掃除も何もかも放り出し、着の身着のままで。
どうやらそれが、大晦日に私が見た姿のようだった。
「どこ行ってはるん?」
「知らん。けど、夜の九時くらいにはいっつも戻って来るよ。その後は普通になる」
Mちゃんは過去に一度だけ、飛び出したお母さんを追い掛けようとした。しかし、お父さんに、「やめとけ!」と止められたのだそうだ。
「なんで?」
「そういうもんやから、やって」
放っておけば戻って来るのだし、下手にいつもと違うことをしない方が良い。うっかり引き留めて、おかしいままになってしまったら困る――それがお父さんの考えのようだった。

Mちゃんのお父さんは、これらの現象を「大掃除のお化け」と呼んでいたそうだ。
「お化けのせいやから。いらんことせんと、出ていくまでそっとしとこうな」

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