聖書ソナタ(鍵盤楽器音楽の歴史、第87回)
クーナウの4つめにして最後のクラヴィーア曲集は、1700年に出版された《音楽による聖書の歴史 Musicalische Vorstellung einiger biblischer Historien》、通称《聖書ソナタ》です。
これは旧約聖書の物語に基づく描写的な6つの「ソナタ」からなる曲集です。
https://imslp.org/wiki/Special:ReverseLookup/284432
この手のストーリーを有する鍵盤音楽はポリエッティの前例がある他、古くはイングランドのヴァージナル楽派に遡る伝統があります。
クーナウも序文でこれは自分の独創ではないとして、フローベルガーの名を挙げています。ライン川の激流に翻弄されたり、追い剥ぎに身ぐるみ剥がされたりするやつですね。これらは当時よく知られた作品だったようです。
それぞれのソナタで扱われる聖書のエピソードは以下のとおり。
第1番:ダヴィデとゴリアテの戦い
第2番:ダヴィデの竪琴の音に癒やされるサウル
第3番:ヤコブの結婚
第4番:ヒゼキヤの死の病と回復
第5番:イスラエルの救い主、ギデオン
第6番:ヤコブの死と埋葬
〈ソナタ 第1番〉を見ていきましょう、これはサムエル記上第17章以下の有名なダヴィデとゴリアテの戦いを描いた作品です。
David with the Head of Goliath, Abraham Bosse, 1651, The Metropolitan Museum of Art.
曲はまず「ゴリアテの威嚇」からはじまります。
17:23 ダビデ彼等と倶に語れる時視よペリシテ人の行伍よりガテのペリシテのゴリアテとなづくる彼の挑戰者のぼりきたり前のことばのごとく言しかばダビデ之を聞けり
ハ長調の陽気な付点リズムの行進曲的なテーマがゴリアテを表しているようです。全然怖くないですね。
それに混ざるアルペジオはダヴィデを表しているのでしょう。ダヴィデと言ったら竪琴というお約束になっています。
第2楽節「巨人の出現を見たイスラエル人たちの怯えと、彼らの神への祈り」
聖書の当該箇所には別に祈っているような記述は見当たりませんが。
17:24 イスラエルの人其人を見て皆逃て之をはなれ痛く懼れたり
イ短調に転調し、半音階的に進行する和音がイスラエル人たちの不安を表現するとともに、神への祈りとしてコラール〈深き悩みの淵より、われ汝に呼ばわる Aus tiefer Not schrei ich zu dir〉の旋律が奏されます。
古代イスラエル人の祈りを表現するのにルター派のコラールを用いるというのは時代錯誤にすぎるように思われますが、この時代の人はそういう事を別に気にしないようです。聖書を題材にした絵画でも人物の衣装などは当世風ですし。
第3楽節「ダヴィデの勇気、恐るべき敵の自負を蔑せんとする情熱、神の助力への確信」
17:32 ダビデ、サウルにいひけるは人々かれがために氣をおとすべからず僕ゆきてかのペリシテ人とたたかはん
17:33 サウル、ダビデにいひけるは汝はかのペリシテ人をむかへてたたかふに勝ず其は汝は少年なるにかれは若き時よりの戰士なればなり
17:34 ダビデ、サウルにいひけるは僕さきに父の羊を牧るに獅子と熊と來りて其群の羔を取たれば
17:35 其後をおひて之を搏ち羔を其口より援ひいだせりしかして其獣我に猛りかかりたれば其鬚をとらへてこれを撃ちころせり
17:36 僕は旣に獅子と熊とを殺せり此割禮なきペリシテ人活る神の軍をいどみたれば亦かの獣の一のごとくなるべし
少年ダヴィデは戦場にいる兄たちにパンを届けに来ただけだったのですが、成り行きでゴリアテに決闘を挑むことになります。自分ならゴリアテに勝てるとダヴィデは言いますが、その根拠といえば以前にライオンとクマを倒したことが有るからというだけです。
音楽は宣戦布告のファンファーレといったところでしょうか。
第4楽節「両者の口論と戦闘」
ダヴィデはゴリアテとの決闘に際して、ただ牧童の使う杖と石投げ器だけをもっていき、これを見てゴリアテは俺は犬かと嘲笑います。ダヴィデは神がついているから剣など不要と言い放ちます。
17:43 ペリシテ人ダビデにいひけるは汝杖を持てきたる我豈犬ならんやとペリシテ人其神の名をもってダビデを呪詛ふ
17:44 しかしてペリシテ人ダビデにいひけるは我がもとに來れ汝の肉を空の鳥と野の獣にあたへんと
17:45 ダビデ、ペリシテ人にいひけるは汝は劍と槍と矛戟をもて我にきたる然ど我は萬軍のヱホバの名すなはち汝が搦みたるイスラエルの軍の神の名をもて汝にゆく
17:46 今日ヱホバ汝をわが手に付したまはんわれ汝をうちて汝の首級を取りペリシテ人の軍勢の尸體を今日空の鳥と地の野獣にあたへて全地をしてイスラエルに神あることをしらしめん
17:49 ダビデ手を嚢にいれて其中より一つの石をとり投てペリシテ人の顙を撃ければ石其顙に突きいりて俯伏に地にたふれたり
やはりラッパ風の戦闘を表す音楽に続いて、12ページ右上の弧を描く音形には、「石投げ器から放たれた石が巨人の額に当たる」(Vien tirata la selce colla frombola nella fronte del Gigante)という注釈があり、続く下降音形は、「倒れるゴリアテ 」(Casca Goliath)です。
まるで8bit時代のゲームの効果音のような表現です。
第5楽節「ペリシテ人の逃走、イスラエル人の追跡と殺戮」
17:51 ダビデはしりてペリシテ人の上にのり其劍を取て之を鞘より抜きはなしこれをもて彼をころし其首級を斬りたり爰にペリシテの人々其勇士の死るを見てにげしかば
17:52 イスラエルとユダの人おこり喊呼をあげてペリシテ人をおひガテの入口およびエクロンの門にいたるペリシテ人の負傷人シヤライムの路に仆れてガテおよびエクロンにおよぶ
例によって「逃走」(La fuga de' Filistei)は「フーガ」によって表現されます。聖書の血なまぐさい記述に対して何ともコミカルなフーガです。
第6楽節「イスラエル人の勝利の喜び」
3拍子の軽快な舞曲によって喜びが表現されます。舞曲の種類は強いていえばヴォルテでしょうか。
第7楽節「ダヴィデを称える女たちの合奏」
18:6 衆人かへりきたれる時すなはちダビデ、ペリシテ人をころして還れる時婦女イスラエルの邑々よりいできたり鼗と祝歌と磬をもちて歌ひまひつつサウル王を迎ふ
「女たちの合奏」は単調なパターンが支配する土俗的ともいえる風変わりな音楽ですが、これはタンバリンを模したものと思われます。
第8楽節「歓喜の町、人々の喜びの踊り」
そしてやはり喜びを表す牧歌的な舞曲と共に、この「ソナタ」は幕を閉じます。
この《聖書ソナタ》は不完全ながら《アンドレアス・バッハ・ブック》にも収録されています。
奇抜なコンセプト故に紹介しやすいためか《聖書ソナタ》はクーナウの作品の中では現在最も知名度の高いものとなっています。しかしどう言い繕ってもやはりこれはゲテモノです。これがクーナウの代表作とされ、他の「普通」の作品が無視されている現状はあまり喜ばしいものではありません。《聖書ソナタ》が下手に有名なことで却ってクーナウの実力が侮られているように思えます。
それからソナタ第1番は集中でもとびきりの駄作だと思いますので、聴くなら第6番あたりがお薦めですかね…
グスタフ・レオンハルトによる1972年の全曲録音は、レオンハルト自身のナレーションによって進行する、これまた珍品です。彼の肉声が聴ける貴重な録音です。
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