見出し画像

ひきこもりマラソンが延長戦になってしまった件

2作目の単著が、数日前、ほぼほぼわが手を離れた。

2作目がどういう本で、なにを思ってこれを書いたかについては、別の記事で大いに書く。さしせまった問題は、2作目を終えたあとの日々だ。

ともかくも2作目を書いている最中は、2作目を終えたあとの日々についてめちゃくちゃめちゃくちゃめちゃくちゃ妄想していた。わたしはサラリーマンだ。書くには、書くためのスペースを暮らしのなかに無理やりこじあけるしかない。それは平日の夜であり、土日だ。必然的に、誘いを断り、ひきこもる。

本はまだ少し読める。映画や美術展や演奏会となるとむずかしい。わたしは決してフットワークが重い方ではないけれど、支度だ移動だとかやっていたらなんだかんだ半日を使ってしまうし、帰ってきたらおひるねしたくなってしまう。こうなるともうこの日は使えない。ダメ。全てはマラソンだ。とにかくバランス崩さない。安定タイムをキープ。ウロチョロしない。息吸う、息吐く、合格。ひたすらパワーを温存。温存。温存。

ざっくりそんな感じの1年3ヶ月くらいだった。つねにキープ目標でやってきた。だから命を削ったとはいえないかもしれない。けれど、少なくとも余暇を削ったとはいえる。で、2作目が終わったら何しようとずっと妄想し続けていた。映画、美術展、演奏会。実家に行って、入院中の祖母のお見舞いにも行って。おいしいものも食べに行きたい。あー国会図書館で資料も漁り倒したいな。ドイツにも行きたい。なんてたってベートーヴェン生誕250年である。各種イベント目白押し。どのタイミングで行こうか考えるだけで時間が溶ける。あとカメラがほしい。ちょいちょい取材っぽい機会をいただくようになって、これはスマホを向けたら失礼だなと思う場面が増えてきたのだ。カメラ買って、練習しに行こう。

まあ、そんな風に思っていた。2ヶ月前、いや1ヶ月半前くらいまでは。

オチがどうなったかはいうまでもないだろう。唯一、カメラの妄想だけは現実になった。つまり来た。来た、というか、自発的に注文しなきゃ来ないんだけど。あえて注文してしまった。もう本業のリモートワークが始まっていたような時期だ。すぐ来た。2作目が自分の手を離れるまでは開けずにおこうと思った。で、数日前。ついに開けた。

これほどに社会状況に抗った買い物があろうか。どこにも遊びに行けないのに。どうかしてる。夢をぜんぶ失くしたらたまるか、とまで思いつめたわけじゃない。でも、まあ、これもある種の願掛けみたいなものだろう、とはふわっと思った。抱いていたいろいろな妄想はちょっと先のばしに。そして2作目は終わったけれど、ひきこもりマラソンはもうしばらく続ける。大丈夫だと思う。いままでだってずっと走ってきたし。予想外のかたちで距離が伸びただけだ。いまの政治には大いに不満がある、でもそれはそれとして自分個人が置かれた状況に関しては、少しでもおもしろくとらえ直さなければやっていけない。この延長戦も、大原則はかわらない。余暇は削っても、やっぱり、命を削るわけにはいかない。命を削ったらわたしはわたしの3作目に会えないのだから。


2作目はこちら。