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音楽祭とローカリティとパサージュ〜フランス・ナント訪問記

フランスのナントという街で約6日間を過ごした。

2020年1月末から2月初頭。
雨がちではあるものの、東京よりずっとあたたかい。こんな冬は珍しいという。

フランスで6位の規模を誇る街。とはいえ人口30万人といえば、日本の市区町村ランキングだと50位に入るか入らないくらいだ。大通りもお店も大変まったりとしている。

混み合っているのはここだけだ。

フランス最大級のクラシック音楽祭ラ・フォル・ジュルネ(La Folle Journée)。
いちどもまともに観光したことがないパリをすっ飛ばして、ロワール川下流沿いのこの街をはるばる訪れたのは、この音楽祭の取材のためだった。

ラ・フォル・ジュルネ、あるいは略してLFJ。名前に覚えがなくても、「毎年ゴールデンウィークに東京国際フォーラムで開催されているクラシック音楽祭」といえばピンと来る方もいるかもしれない。実はこの音楽祭の本家はフランス・ナント。1995年に初開催され、2005年から東京でも毎年行われるようになった。ほかにもワルシャワ、エカテリンブルクなどで開催されている。

本家ナントの妹分のポジションとはいえ、東京のLFJも15年とあればすでに立派な歴史を誇る。イベントの基本的なつくりはどちらも同じだ。複数の多目的ホールが集合した建物のなかで、数日間にわたって、朝から晩までコンサートが繰り広げられる。

しかし音楽祭をとりまく環境は双方でかなり異なる。ナントの客層は地元民が中心だ。会場のナント国際会議場(シテ・デ・コングレ)と住宅街は至近距離にあり、徒歩でやってくる市民も多いという。朝は散歩がてら来られるし、終電をことさら気にする必要もない。チケットの販売情報はクチコミで出回り、開催前にほぼ完売に近い状態になる。ボランティアという形で毎年参加している人も多い。

東京国際フォーラムがある丸の内は、そもそも住民のいる地域ではない。家から歩いて来られる人はまれだ。そこは働きに来る場であり、観劇や美術鑑賞をする場であり、ランチやショッピングを楽しみに来る場である。国際フォーラムの徒歩圏にあるのは、東京駅、銀座、そして皇居。フランス人のロラン・バルトが「空虚な中心」と呼んだ楕円型の禁域のひろがりだ。ただならぬ空虚の気配、そして、ハレのムード。

そうした生活感の希薄な場でイベントを毎年催し、健全に定着させるのはとても難しい。きっと、ナントにはない運営上の苦労があることだろう。いっぽうのナントはナントで、東京とは別の課題があるにちがいない。このたびナントを訪れて、一般のお客さんの年齢層の高さにはかなり驚いた。この点においては、東京のお客さんのほうがはるかに多様性に富んでいる印象がある。

対照的ともいえる都市下で、同じ音楽祭がそれぞれ長く続いている。これはたいへんな奇跡だと感じた。残念ながら長く続かなかった都市もある。それは現実的な判断がはたらいた結果だろう。プロデューサーのアイデンティティを守りつつその土地流のローカライズを行うのは気が遠くなるほど大変だ。さまざまな折り合いをつけながらも最大限の夢を見る。制作も運営も、ほんとうに大変なお仕事である。あらためて頭が下がる思いだ。

滞在期間中は、自分が果たせる役割とはなんだろうと考えていた。そして、私自身がこんなことを言ってはいけないのかもしれないけれど、「きっといるだけでもいいのだろう」と思った。スタッフでもアーティストでもない人間の素朴なまなざしは、たぶん、こういうイベントの鮮度を保つために不可欠だ。自分がそのまなざしになれればいい。広報活動とはまた別の意味で。だからライターとしての派遣ではありつつ、たまたま「ナント5泊7日の旅」の当たりクジをひいた日本のお客さん代表みたいな気持ちで過ごさせてもらった。そして、そんな時間のなかで得た雑感を少し残しておきたくて、noteにこの記事を書きとめておいた。(なお、演奏内容をめぐるレポートに関しては、LFJ東京公式のFacebookで順次公開されている)


5日間の音楽祭会期を終えた翌日、現地の方に街を案内していただいた。ナントの歴史地区はざっくりいうと18世紀以前の旧市街、それ以降の新市街に分かれているという。
わたしの興味は、どちらかといえば新市街のほうに向いた。街角にふいにパサージュが現れたときには、胸がときめいた。この「パサージュ・ポムレー」は、1843年の建造だという。

ヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』を読んで以来、いちどは訪れたかった場所だ。まさかパリのパサージュより先にナントのパサージュに来るとは思わなかったけど。大理石でつくられた美しい柱とアーチに囲われた、チョコレートや雑貨、ブティックなどの大小の店舗。今日のショッピングモールの祖だ。

キョロキョロ歩きながら、なんだかラ・フォル・ジュルネの世界みたいだな、とふっと思った。さまざまなコンサートの集合体と、人びとがそぞろ歩く通路。

ベンヤミンは、19世紀当時のパリ観光パンフレットから次の言葉を引いている。

パサージュは一つの都市、いやそれどころか縮図化された一つの世界とさえなっている。……
 ──ベンヤミン『パサージュ論』今村 仁司、三島 憲一訳 岩波現代文庫

来る5月、丸の内が音楽のパサージュになる。東京の人びとはどんな風に国際フォーラムを歩きまわり、コンサートを選び、ホール前に列を成すだろう。それを見届けるまでは、まだ、ナントの訪問記にピリオドを打つことはできない。

#コラム #旅行記 #エッセイ #フランス #音楽