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暮らしが整うと、デザインが生まれる

鍋したり麻雀したりサッカーみたりと、最近よく人が家に来るのでそうなのかもしれないが。

部屋を片付ける習慣がついてる。
10年くらい前の自分からは想像できないこと。過去の自分は片付けと掃除がまったくできなかった。

とゆうよりする気が起こらないというか、そうゆうことを考える時間もなかった。家に帰ってとりあえず寝る。朝起きてとりあえず職場に行く。とゆうリズムで、部屋の主であったが城ではなく寝に帰るただの箱であった。

なのでこうゆう家具を置きたいとか、ちょっと散らかってきたし片付けたほうが良いかなとか、まずそうゆう思考に当時はならなかった。

僕の両親が、それを予測してたのか僕が言ったのかは忘れたが、大阪から東京まで部屋を掃除に来てくれたこともある。

あのときさすがに親はすごいな。と思った。自分が駄目だとは思ってもなかった。

たまにゴミ屋敷の話とか聞くと、当時は他人事でもなかったのかもしれない。一歩間違えればそーゆー人生を送ってた可能性もある。

今自分なりに暮らしを整えて、豊かな生活とは何かをよく考えるようになった。

掃除にもきれいになる喜びや、気持ちよさ、楽しさがあることを今はとても実感してる。

見た目だけではなく、心も同じくキレイになるし整う。手間暇をかけ、自分の部屋をキレイにするという体験が色んなとこに影響していくのがわかる。掃除の楽しさをもっと時間をかけて楽しみたい。

ひとりひとりにもっと時間やゆとりがあればゴミ屋敷とかはなかなかならへんと思うし、自分好みの城をみんながつくれると思う。もちろんなんでもええわーっていう考えもそれはそれであり。

住みやすさや快適性をひとりひとりが探求して自分たちの城を自分たち好みにデザインする。

そうすると、大量生産された汎用品よりちょっとこだわったデザイナーが手間隙かけて作った家具や、手織りで織られた一点物のラグ、なんならDIYで棚とかもつくってみよかな?塗装なんかしちゃって。

みたいな。いい消費動向が生まれるような気がする。そしてデザインのアイデアも。

もちろんいいと感じる消費動向やデザインの良し悪しも人それぞれ違うが、僕は今の金融資本主義のシステムで過剰な労働で本来自分の人生の色々を考える大切な時間を多くの人が奪われてると感じてる。

あと、わかりやすい汎用品や、人をコストとみなし省いて機械等を多用して作った没個性の既製品みたいなのがあまり好きでない。

自分はなんとかそこから抜け出すことができないかと日々模索してる。
もちろん仕組みはすぐに変わらない。

でもやれることがある。それは暮らしをなんとか自分なりに整えて、既存の仕組みが示すことにあえて逆らって生きようとしてみる。

まずは自分が実践していく。美容師として、デザインを作るときもそれらを意識してつくっていきたい。

そして最後に、今年の紅白がどうやらとか話題にあがる季節になってきましたね。

昔はしらんけど、今の紅白歌合戦って、まさに没個性の汎用品みたいなアーティスト?タレント?ばっかり出場してそうって見てもないのに思ってしまいました。悪口ですね。すんません。

おわり


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