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美しいや正しいがつくられた世界でこれからどう美容師をしていくのか

最近暖かくなってきてとても、自分の部屋が気に入ってる。好きなものを置いたり、今後の部屋のコーディネートを妄想する。

昨年末に引っ越しして冬の新居はいきなりとても寒かった。普段よりも厚着をし、お風呂を毎日沸かし、電気代がかさむであろうから自炊で節約したりそれはそれで生きた心地。

電気代については前回のnoteを興味あれば見てほしい。↓


自分の今の生きていくうえでの環境も少しずつ整ってきてる。経済的にはまだまだ満足してないが、自分はやりたいことをやってるしそれをどうこう言ってくる人もいない。言ってきたとしても気にせーへんけど。

思えば14年前自分はカリスマ美容師になりたくて東京に来たようやった。ここでゆうカリスマはいわゆるメディアに露出し売上もバンバン上げて月間何百人とお客さんをこなすような。そんな美容師像。

雑誌やテレビに出たりして芸能人とも仲良いみたいな存在。そーゆーのに憧れたこともとても懐かしい。

しかし今noteを書いてる自分はまったくそーゆー美容師ではないと声を大にして言える。人生どうなるかわからへんなー。

見方的には華やかなカリスマになれずに終わった悲しいしょぼい美容師なのかもしれない。その環境を経験してないのも事実。そう思ってもらっても構わへん。

いずれにせよ、自分は自分に髪を任せたいと思ってくれる人にその時その時全力で髪型をつくるだけ。

その人ひとりひとりのカリスマでは今後もあり続けなくてはならないと思うけど、華やかなメディアに出たい欲もまったく無くなり、逆に出ない方が本物なのではないかと日増しに思うようになってきた。

それは昔からそうやった気もするし、いろいろ生の仕事現場でやりくりしてて確信に変わっただけかも。

むかーし、先輩美容師の某雑誌のヘアカタログ撮影にアシスタントとして同行したときの話。
読モみたいな女の子にカットカラーを一切せずコテ巻きなどのスタイリングをかましただけでシャッターを切り、このスタイルのポイントなどを軽快に語り、施術してもないカットの欄には先輩、カラーの欄には僕の名前が見事に雑誌に記された時は、虚構の世界をリアルに見た気がした。

最近の芸能人が席巻してる広告や、巷のカメラビューティー機能。外見至上主義。さぞお金は動きまんなー

テレビに出てる人が言ってることが正しいような番組の見せ方、求めてもないのに入ってくる有名人の持論記事の見出し。

本来、何が本当の美しさなのか自分の正解なのかとゆうことを考える隙間さえないくらい美しいの定義や画一化された正しさが作為的に作られ、垂れ流されてる。

今の僕はそれらも虚構に見えてる。とゆうか実際に、美しさや正しさは人それぞれ違うしもっと個別具体的であることは明白やと思う。

日々お客さんに向き合ってると肌でいつでも感じる。

自分はそーゆー個別具体的な髪型をつくれる美容師でありたいし、それをこれからも続ける。

今日、鬼子母神社の駄菓子屋のおばちゃんが昔は味別に別れて売られてた駄菓子が、詰め合わせになって少しお得にしかもカラフルに見栄え良くなった駄菓子を「十把一絡げ」とゆう言葉を使って紹介してくれた。

春が始まったと思えば終わるや、その季節の輪廻をまた来年も味わう。できれば今よりももっと愉快で考えられたデザインの部屋に住み、厳しい冬を越えてからまた今年とは違うその年の美しい春を迎えてあげたい。




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