学校教育という洗脳システムによって人々は奴隷的な労働体系を望むようになる

学校教育という洗脳システムによる影響は、一般的に人々が思っている以上に影響が深刻であり、重症である。
「学校教育は問題だよね」という言葉をかけると、大抵の人は頷くにもかかわらず、個別の話を取り上げると大抵、ほとんどの人が現状の学校教育を肯定し始める。

「先生の言うことなんて聞かなくて良いでしょう」というと、「それは違う!先生の言うことは聞くべきだ!」と返答する人が多い。

「宿題なんてやらなくて良いでしょう」というと、「宿題はやらないとダメでしょ!」と返答する人が多い。

学校教育というのは、毎年毎年、決まり決まったことを子供たちに詰め込み、定まったレールの上を進んでいくことを強制する洗脳システムだ。

「僕は運動が得意だから、とにかく外で飛び跳ねて遊ぶ!」という子供の首根っこをつかんで教室の机に着席させる。
「私はピアノが大好きだから、ひたすらにピアノを弾きたいな!」という子供の首根っこをつかんで教室の机に着席させる。

「僕は算数・数学が大好きだから、九九をとっとと覚えて、微分積分も早く勉強して相対性理論を理解したい!」という子供の首根っこをつかんで、「今はまだ九九を覚える学年ではありません。真面目に一桁どうしの足し算の練習をしなさい」と命令して、九九や微分積分に手を出そうとする子供の首根っこをつかんで教室の机に着席させて足し算をさせる。

このように、学校教育は世界の支配者たちの大方針を基準にして、子供たちから創造性という才能を叩き潰し、等しく労働者という奴隷を創り出すという、奴隷製造システムのことである。
学校教育では、定められたカリキュラムに従い、毎年同じような問題を子供に解かせて成績を付けて奴隷階級を付ける。
成績の良い奴隷は政治家や官僚、優良企業社員という支配者層奴隷へ導き、成績の悪い奴隷は肉体労働者や低賃金労働者という下層階級奴隷へと導かれる。

幼いころから学校教育における優劣をつけられることに慣れさせられた者たちは、大人になっても組織の非生産的な評価ルールというレールに乗せられ、創造的な者は組織によって叩き潰されて殺される。
世界の支配者たちにとって、奴隷階級である一般人が自由な発想を持つ創造性豊かな人間であってもらっては困るのであり、従順な奴隷として命令されたことを忠実に遂行する奴隷であってほしいのである。

こうやって、学校教育という洗脳システムによって人々は自然と奴隷的な労働体系を望むようになるというわけなのである。
「企業改革」や「イノベーション」を唄う企業組織においても、結局は旧態依然な経営者がのさばり、そのような経営者の言うことに黙って従う者が出世していくのは、そのためである。




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