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フィルム調は本当にフィルム調なのか

フィルム写真の何が良いのか?という問いにフィルム独特の色味に惹かれるという人は多い。凝り性の人ならフィルムやレンズの発色の違いまで追い求める人もいるらしい。でも、ほとんどの人はそんなこと意識せずに「エモい」と言っている。フィルム世代なら「ああこんな色味の写真だったな」と郷愁を誘われるならまだ分かる。しかし、フィルム写真を見たことない若者でも、フィルム写真をエモいと言っていたりするのだ。

まず「エモい」とはなんだろう。言葉の曖昧さにかけては「ヤバい」に近いものがあるが、「エモい」は元となったであろうエモーショナルからすると何か感情的に揺さぶられた状態を指すのだろう。私のようなおっさんが使用場面を観察するに、哀愁の感情に近い気がする。というか、「なんかイイ感じ」ぐらいの感覚で使われてる言葉のようだ。

青色は気持ちを落ち着かせる、赤色は興奮させるなど色が人の感情に影響することは、科学的にも証明されているらしい。フィルムの色味は、情緒を刺激する何かがあるのだろうか。

フィルムの色味について世の中で語り尽くされてるので多くは語らない。デジタルでフィルムを再現しようとしたこともあったが、自分なりの結論は「非常に似ているけどフィルムと全く同じにはならない」ということだった。まさに「フィルム調」ということだ。ホワイトバランスのズレだけでなく、思わぬ色被りや色転びは周りの反射光の影響を受けて予測がつかない。それがノスタルジックさを生み出してるかというと、そうとも思えない。多くの人が懐かしいと感じる色とはなんなのだろう。

古い記憶の表現でセピア色という言葉が使われる。これは、昔の白黒写真が経年変化によって褪色した結果、セピア(イカ墨)色になったことに由来している。つまり、本来はそういう白黒の古写真を見た経験がないと、呼び起こされない感覚なのだ。

やはり、昔見たことのある古い写真の体験から、人はその色味を懐かしいと感じるのではないだろうか。単純に遠い昔の記憶ということを表現する比喩として、白黒写真、セピア色、フィルム写真のようなといった言葉は使われるかもしれないが、実際に体験した人は確実に減っているはずである。もしもフィルムが将来この世から無くなったら、いずれ写真の色味で懐かしさを引き起こされる感覚も人々の中からなくなってしまうのだろうか、と不思議な気分になる。何となくそれは寂しいので無くなってほしくないものだが。

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