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ノー残業デー

「今日から我が社では、水曜日をノー残業デーとします。水曜日は残業なしで早く帰って下さい。」

朝礼で社長がそう話した時、誰もがそれは無理だろうと心の中でつぶやいた。仕事量が変わらなければ、その分他の日にしわ寄せがくるからだ。もし、帰れたとしてもその分の仕事は家でやることになる。家でできない者はネカフェにでも行くことになるのか。

さすがに、電気を一斉に消すまではいかないがあまりに帰る者が少なければ遅かれ早かれそうなるだろう。もう何年も前から残業代は出ない。この小さな会社が潰れずにすんでいるのはひとえに社員全員の努力の賜物だ。それを上はどのくらいわかっているのだろう。

課長が上野さんを呼んで渋い顔で説教している。なんでも残業時間が過労死ラインすれすれだったらしい。上野さんは何も好きで残業しているわけではない。そうしないと期限に間に合わないからだ。それを上手く調整して割り振りするのが課長の仕事ではないのか。

木曜日の定時になると、課長は「今日はノー残業デーだ。早く帰るように。」と言うと、一人「お先に。」と帰って行く。それを横目で見ながら俺たちは残業をする。やっとメドがついて帰ろうとすると上野さんはまだやってる。

「帰りませんか?」と声をかけたが「後もう少しやりたいから。」と動く気配がない。何度か声をかけたが埒があかない。仕方なく、俺たちは挨拶をして帰途につく。

上野さんはいわゆる職人肌で、自分の納得のいくまでやらないと気がすまない。丁寧で質もいいのだが時間がかかる。それより顔色が日に日に青くなっていくのが心配だ。顔全体が痩せて目だけが浮き出ている。

次のノー残業デーで、課長が言った。

「君たち、すまん。今日はノー残業デーだが、急な依頼だ。明日まで間に合わせなければならん。誰か残ってくれないか。」

突然、「カエル」と言う声がした。皆一斉に声がした方を見た。上野さんだった。上野さんの顔は青いを通り越してカエル色になっていた。目だけが大きく顔もカエルだ。

「カエル、カエル」 

カエル面の上野さんは、荷物をまとめるとそのまま出て行った。皆唖然として見ていた。すると、あちこちから「カエル、カエル」と声が聞こえた。見ると声の主は顔がカエルに変わっていた。次第にその声は広がり、フロアに残ったのは課長一人になった。

次の日、会社に行くと皆顔は元に戻っていた。ただ、課長が休んでいた。どうやら徹夜で仕事をして間に合わせたらしい。家に帰るなり高熱を出し、うなされているという。

この一件以来、仕事量を調節して皆が週一度は気がねなく定時に帰れるようになった。上野さんは趣味の模型作りができると嬉しそうだ。課長も復帰し、残業がある日は手伝ってくれるようになった。

あの事件は一体なんだったのか。誰も覚えていないようだ。俺の記憶もなんだかあやふやだ。そのうち忘れるのだろう。それでもいい。たいしたことじゃないのだから。





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