君が帰る場所
君は夜行バスに乗った。新幹線を使わなかったのは、安くあがるせいばかりじゃない。帰るのを少しでも長引かせたいからだ。
君はもう何年も故郷に帰っていない。逃げるように故郷を離れた日、もう戻ることはないだろうと思っていた。
誰も見知らない場所で、君は慎ましく暮らし始めた。自分にできる仕事はなんでもやった。小さな清掃業者が君を拾ってくれた。
君の仕事は、他人の生活場所の後始末。セルフネグレクトの末ゴミ屋敷になったアパート、老親が住み暮らした実家の始末、孤独死し長らく発見されなかった部屋。どの部屋にも静かな寂しさが影を落としていた。
耐えきれない汚臭と無秩序な物の散乱。君は仲間と手分けして片端から作業を進める。物を分類しゴミとそうでないものに分ける。片付いたら掃除。人の手を経てみるみる生気を取り戻す部屋。この仕事は君に合っている。
父親が死んだと母親から電話が届いた。帰ってこいという声に君はためらった。父親の最後の顔を見てやってくれと嘆願され、共に暮らす恋人からも後悔しないように行った方がいいと助言され、君は帰ることにした。
君と父親は仲が悪かった。父親の前で君はいつもおどおどしていた。父親の期待に何一つ答えられなかったからだ。受験も就職も失敗した。父親の望む学校に入ることも職業に就くことも出来なかった。冷たく無視する父親から逃れたくて家を飛び出した。怒鳴られた方がまだマシだった。
まともに働いて暮らしているらしい君を見て、母親は安堵の表情を浮かべた。父親の遺骸は小さく干からびていた。死んでしまえば、皆仏だ。死んで初めて父親を許せる気がした。
母親は、お前さえその気なら帰って来いと言ったが、君は首を振った。ここが嫌なわけではない。君の暮らしは向こうにあった。仕事があり、仲間がいて、愛する人が待っていた。君の居場所はもうここではないのだ。
「おかえり。」
君が帰ると恋人は、スープを温め直した。スープの温かさが体中に満ちた。
君の居場所はここだ。ここが君の帰る場所だ。
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