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「空気」を読む、をコンピテンシーにするには

空気を読むという行為は確かに「能力」です。

人の気持ちや意図を「積極的」に考え、感じ取る。しかも独りよがりな判断ではなく、環境や背景によってその決断をかえる。

ハイコンテクスト文化でなければ山本七平のいうように「超能力」のように見えるでしょう。

人に合わせることを、大きな心理的苦痛を伴わずにできることも大きな能力です。時と場合によってはそれが必要なこともあります。

この「空気」を読む行為をコンピテンシーとして認識するためにはもうひと段階必要ではないかと考えています。

それは「自分がどの空気を読んでいるのか」を認識すること。そして、それが自分個人の考えと同じなのか、違うのかを認識することです。

自分の価値観が「空気」のそれと違っていたら「空気を読まない」でいい、ということではありません。何も自分勝手にすることを進めているわけでもありません。

時と場合によって多様な選択や意思決定をする必要があるでしょう。

しかし、それを「空気に流される」ように無意識なままに意思決定をすることだけは避けたいものです。

特に教師としては、自らの教師としてのアイデンティティ(価値観)をしっかりと認識することどのような「空気」を読んでいるのかを批判的に認識すること。この二つができて初めて「空気を読む」行為はコンピテンシーになるのではないかと思います。みなさんは如何お考えでしょうか。


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