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「空気」に「流される」、とはどういう状態か

それはズバリ、論理的な説明があるにもかかわらず非合理的な合意に同意することです。

「空気を読む日本人」を書いた西川(2020)は

日本人は「議論の対象にならぬ空気の決定」に支配されるというのである。ゆえに、「論証がどれほど整合的であり、説得力のある実証が示されても、最終的には場の空気がすべて決めてしまうのである。そして、場の空気と論理性が食い違った時には、日本人はは空気に従い、特にその場の人々にコミュニケーションが成立していれば、無言のやりとりで合理性のない決定にも同意することができるのである。これが、「空気に流される」ということである。

と書いています。以前も、空気を読むことの問題は盲目的に信じてしまうことにあると書きましたが、まさに空気に流されることがそれに当たります。

空気に流されるのは思考停止状態、責任放棄状態です。楽な状態かもしれませんが、それは「無責任な」個人の集団でしかありません。

教職員にとってもちろんチームワークは大切です。日本独特の教員文化として集団で長らく培ってきた土台もあります。おそらく「空気」もその教員文化や職業アイデンティティの形成には大きな役割を担ってきたでしょう。

しかし今は教育の在り方が過去のそれとは随分と大きく異なり、教員文化もより個別化してきていると言われています。成熟した個人から、成熟したひとりの教員集団としての新しい形を模索して行きたいです。


Teachers of Japanではティーチャーアイデンティティ (教師観)の発見を通じて日本の先生方がもっと自分らしく教育活動に専念し本来は多様である「教師」の姿を日本国内外へ発進しています。日本の先生の声をもっと世界へ!サポートいただけたら嬉しいです。