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日本文化のせいにするのをやめた

大学院🇺🇸の授業を受け始めて、色んなことを無意識的に日本文化のせいにしている自分に気がつきました。

日本ではこんな話はしないから、私が理解できないんだ。
日本のことを知らないから、相手は私の言っていることが分からないんだ。
日本とは感覚が違うから通じないんだ。
日本語ならもっとうまく説明できるのに。

これ以外にも言葉にできない「日本のせい」にする感情がありました。そして、その私の価値観が自分の学びを邪魔しているのも感じていました。

よく考えてみると、この感覚は長年ずっと私の中にあったものでした。でもずっと見ないようにしていたので、「日本のせいにしている」ことにも無意識でした。しかし、今回の大学院の授業を通して自分と対話しているうちに、「あ、私は日本のせいにしてる」と気づいたのです。そして、日本のせい、日本文化のせい、にすることで「言い訳」したり「自分のことを正当化しようとしている」と。そして、日本のせいにすることで自分の気分が少しも軽くなっていないことにも気がつきました。

生徒には、自分の感じた不自然さや居心地の悪さを言語化したり自分の考えをしっかり発信してほしいと思いつつ、息苦しいこの感覚から一番逃れたくてできてないのは自分だったのです。反省。

でも、一旦、自分のマインドから日本のせいにすることをやめてみると、とても楽になりました。そして自然に発想も変わりました。すごい開放感。

日本ではこんな話はしないから、私が理解できないんだ。
→「私は今までこのトピックを話題にしたことがなかった」
日本のことを知らないから、相手は私の言っていることが分からないんだ。
→「私は自分の言葉で知っていることを話せた。次はどの視点を話せばより分かってもらえるだろう」
日本とは感覚が違うから通じないんだ。
→「日本で育ってきた私はこう思う!それが私の感覚。」
日本語ならもっとうまく説明できるのに。
→「私の知っている英語で話せばいい。足りないことろは付け足していこう!」

自分が自分に戻っていく感覚、どんどん自由になっている気がしています。

これは、以下に書いた大学院の宿題をきっかけにして書きました。

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