「教育の質」論
「教育の質」と聞いて、みなさんが最初に思いつくものは何でしょうか?
教え方の上手い下手?
教材の良し悪し?
それとも設備やアクセスの良さでしょうか。
この教育の質(quality of education)に関しては特に発展途上国への教育支援や国際機関や政府組織の議論においてもよく出て来る語彙ですが、特にどのようなものを教育の質と呼んでいるか、どのように定義できるかなどについては決まりごとはありません。
今日は大学院の授業でその教育の質についてクラスメイトと面白い議論があったので記録しておきます。(⬇️から「結論」をぜひチェックして見てください)
議論テーマ❶:5つの視点
まず、各班(5〜6人)で適当に選んだ各国の教育政策について批判しました。世界の教育政策で英語でアクセスできるものはこちらから見られます。私たちはホンジュラスの人間開発報告書(Human Resrouce Development)2008/2009を選び、以下の視点について、報告書に書かれている言葉の選び方や表現がどのように表現されているかを話し合いました。
1)instrumentalist(道具主義)
2)utilitarian(功利主義)
3)neoliberal(新自由主義)
4)human rights (人権)
5)quality of education (教育の質)
ちなみに、これは個人的にとても興味のある分野なのですがこのような政策内容にはほんとど「教師」と言う文字は出てきません。教師は学校改革においてはコマ(道具)としか見られておらず、教師をリソースとして活用する議論にはまだまだ至っていないのです。
議論テーマ❷:教育の質はどうして作られた?/Who created quality of education for you?
次に、自分の教育観が今までどのように育成されてきたかをシェアしました。今まで出会った教師や教育のレベルなどを振り返りながら、
誰があなたの「教育の質」を作ったと思うか?
と言う議論です。
これが面白かった。
ちなみに私の班のメンバーは五人で、ネパール、中国、レバノン、タイ、日本と言うアジア女子五人組でした。
五人の私たちが共有した内容は以下のようなもです。
今まで覚えているのはどんなエピソードか。
どのような先生を覚えているか。
どのようなエピソードが記憶に残っているか。
どのようなエピソードが役に立っているか。
どんな先生が好きだったか。
教室でどんな事があった時、うれしかったかまたは嫌な思いをしたか。
結論:教育の質として定義できるものはコレだ!
今大人になってみて、自分の今まで与えられた「教育の質」は何だったかと振り返った時、面白いことに私たちが定義したものは以下のようなものでした。
⑴卒業後に活用できた知識・スキル:何を今覚えているか、どのようなスキルを使えているか
⑵学校や教師に対する心理感情:感謝の気持ち、好きな気持ち、人間関係
もちろん生徒の成績、進学率進学率などの生徒のパフォーマンスや設備や教員数などその他の要素からも見て取れます。途上国などでは、学校へそもそアクセスのない生徒や教員が足りない学校も珍しくありませんから、アクセスの良さや教員の数が一定量あること、またICT設備が整っていることなどよく課題としてあげられるポイントです。
ここで議論❶に戻りますが、学校教育は道具主義でも功利主義でもない(側面もある)ということです。それに経済的に利益を産む人材を育てることだけが目的でもありません。
受験戦争の激しい中国では「勉強すること」が質だったと言っていましたが、勉強のしたくない生徒とったら教育の質は何だったのでしょうか。
以前書いた、「何のための教育か」では今目の前にいる生徒にとって学校教育が与えられる「教育の質は何か」と考えたものだと、今なら思えます。
そして、それは学校によって、地域によって、国によって、また一人一人にとって違っています。それを見極め、生徒にあった最良のリソースやサービスを提供する。それが教師であり、ひいては教育の質とは教師の質とも言えるのかもしれないと思いました。
どんな生徒を育てたいかの議論はどのようにして質を確保すべきか、にも繋がる気がします。
生徒が教育から、私の授業から何を望んでいるのか、私はそれを提供できているのかを常に確認して行きたいです。
そして生徒には諦めずに、教師から何かを望み続けてほしいし、そうあれる環境であってほしいと思います。
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