見出し画像

日本のブラック校則に腹が立たなくなるまで

渡米前は生徒指導が苦痛で仕方ありませんでした。私自身がその価値を全く認められなかったからです。「生徒指導をしたくない教員」なんて組織で働く人間として失格でしょうが、これからの子どもたちに必要なのは、細かいルールに疑問を持たすに従わせることでも、教師の指示に従わない事を頭ごなしに叱る事でもない。そのような指導は無意味だと思っていたからです。もちろん、その考えは今も変わっていません。

髪が黒でないと学力が下がることはないし、白い靴下を履いてないからと言って授業態度が悪くなる訳ではありません。しかし、校則の乱れは生活の乱れにつながる、そのために厳しい生徒指導が必要だという強い信念を持っている先生は多くいます。もちろんそれも一理あります。校則が今まで守れていたのに、突然守れなくなる生徒の多くは何かしら問題を抱えています。でもそれは全生徒に髪の長さを細かく指定することとは別の話です。生徒の中には生まれつき白毛が多くて黒染めしたいと思っている生徒もいますが、校則では許されないと判断する学校もあるでしょう。今後は、LGBTQの生徒(特に制服等)にも校則でどこまで対応できるか課題は多くあります。

正直なところ、生徒が学業に集中できる環境である限り、髪の色や靴下の色、化粧なんて騒ぐほどのことではなく、校則で縛りつけていることで生徒を無力化していることの方が問題です。その、生徒を無力化する教育システムについては以下に書きました。生徒指導もしっかりと無力化の一翼を担っています

しかし、その生徒指導に腹が立たなくなったのは、生徒指導の目的がアメリカの高校で働いてみてよくわかったからです。

アメリカの高校には生徒指導はありません。校則はあるにはありますが犯罪レベルでない限り指導の対象にはなりません。つまりほとんど生徒指導は存在していないのと同じです。ちなみに、生徒指導をするのは教員ではなく、主に管理職や警備員などです。先生ごとに言っていることや理解度に差がありますから、教師の間では共通理解はほとんどないと言っていいレベルです。授業中に携帯のビデオ通話で彼氏と話して授業は全く聞いていない生徒や、授業中に音楽を聴いていているのを注意すると不機嫌になる生徒などは普通にいます。それでも日本のような生徒指導はありません。よっぽど担当教員が手を焼けば警備員が呼ばれます。しかし、彼がいうのです「生徒指導を学校ですると保護者から逆にクレームが来ることがあるので、厳しくできない」と。

もちろん学校のレベルや生徒の経済レベル、家庭環境にも大きく左右されるのですが、「アメリカの学校は生徒指導の場でない」と言うことは明確です。人種や宗教などが多様であるアメリカでは個人の権利や自由度に関するテリトリーが予想以上に広く、お互いがそのテリトリーを侵害しないように配慮しながら教育を進めざるを得ないのです。

アメリカでは、社会のルールを生徒はどこでいつ学ぶのだろう、とよく思ったものです。同僚の先生は家庭教育だと私に言っていましたが、その問いに対する答えは「アメリカ人は社会ルールを学校で学んでいない」が正解だと思っています。

アメリカの高校生を見ながら、日本の高校を冷静に振り返ったとき、生徒指導はある一定水準の社会ルールを生徒に伝える場として機能していることに気がつきました。挨拶が大事だとか、どのような格好が適切なのかとか、どのように振る舞うことが求められているのかとか、そう言う「日本の常識」を確認する場です。生徒指導という名前は好きではありませんが、そのシステムが文化的要素と上手く機能しているからこそ、社会ルールが機能し、狭い国土でもお互いが気持ちよく過ごすことができています。

そう思うと、私は生徒指導に腹が立たなくなりました。何度も言いますが、今の生徒指導には問題が多いと思っています。しかし、学校で社会規範を教えようとする事自体は日本の教育のユニークな点でもありもっとうまく活用することができると思うのです。

現在の生徒指導の問題は、その基準が社会の潮流と足並みが揃わなくなってきていることです。そうは言っても高卒で働く生徒には厳しい環境でも働ける(ブラックでも)生徒が欲しいと言われる現状もあります。なので生徒指導は厳しくないと「生徒が困る」という人もいます。それも分かります。保護者の中には「私はそうは思わないけど、学校は校則が厳しいもので、それに子どもを従わせないといけない」と思い込み、特にアクションをおこさない人もいます。それも分かります。校則が変わらない背景には色んな状況が複雑に絡み合っているのです。

しかし、学校は刑務所ではありません。生徒をむやみに校則で縛ることは本末転倒です。コロナウィルス対策で白以外のマスクは校則違反とする動きが報道されましたが、これなどは良い例でした。

子ども達が学校を卒業し、社会へ出たときの準備として生徒指導が新しく機能するようになれば、きっと学校はもっと良くなります。そう思ったら、私はもう以前のようには腹が立たなくなりました。ただ嫌ったり、批判したりするだけでなく、これからどうすればいいのか考えることで進化できる学校作りが必要だと今は考えるようになりました。現場でその変化を起こすことは簡単ではありません。でも考えることや、自分の答えを見つけることはできます。教師の仕事はすでにある校則を生徒に守らせることではありません。目の前にいる生徒たちが将来困らないための準備をしておくことです。

日本の学校の生徒指導、あなたはどう考えますか。




Teachers of Japanではティーチャーアイデンティティ (教師観)の発見を通じて日本の先生方がもっと自分らしく教育活動に専念し本来は多様である「教師」の姿を日本国内外へ発進しています。日本の先生の声をもっと世界へ!サポートいただけたら嬉しいです。