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授業で海外の話をもっとしよう

昨日投稿した話に関連しますが、アメリカの高校の話などをすると生徒は「へ〜!」とか「ほ〜!」とか驚きのリアクションをすることがあります。

例えば、昨日は「アメリカの学校には2ヶ月半ぐらい夏休みがあって宿題がない」と知り、のけぞる生徒が多発しました(笑)

「アメリカの学校の夏休みが長い」とか「宿題がない」というのはもう結構誰でも知っている事かと思っていましたが、意外にもリアクションがあったので、やっぱり知らない子もたくさんいるんだなぁ、海外の話を授業で言っていくことに意味があるんだなぁ、と改めて思ったのでした。

どちらの教育制度を通っても大人になるのは同じ宿題をたくさんした方が賢い、または幸せな人生を歩めるとは限りません。ただ、システムの違いによって学習プロセス、考え方、身につける能力などは大きく変わるだろうと思っています。高校生にもなれば生徒自身も自分がどんな能力をつけようとしているのか、つけたいのか意識しても良いのではないでしょうか。

生徒が海外の教育制度と日本の教育制度の違いに興味を示したのは、アメリカ人のALTの先生(当事者)の口から話してもらったのも良かったかもしれません。日本人がいうとなんだか斜めから見るような生徒がいたり、無関心だったりするような気がするときがありますが、ALTの先生がくると物珍しさも手伝ってか生徒が聞こうとしている気がします。

クラスの雰囲気にもよりますが、私も自分がアメリカで働いていたことなどを話すと、随分と興味を持って聞いてくれる生徒もいます。
先日は、感想文に「私は教師になりたいけど、どんな先生になりたいか、自分がどんなことができるか分からないけど、先生の話を聞いて海外に留学して見たいと思いました」とか「大学生になったら海外にいかねば!と思った」などとと書いてくれていた生徒がいました。

海外の学校はこうだよ、とか、ニュースでこんな話をしていたよ、という客観的事実を伝えることは、自分を相対的に見たり、批判的思考を身につけるヒントになるのではないかと思います。海外や日本のそれが良い悪いのジャッジメントを伝えるのではなく、アメリカではこうだよ、とか、私はこういう経験をしたよという事実を伝えたいです。そうすることで、生徒が批判的に自分の考えや経験している(させられている)ことを見られるのではと思います。

ワークや教科書から離れたことを話したり授業するとなんとなく「遊んでる」とか「雑談」扱いされがちですが、本当は雑談だって同じぐらい大切なのではないでしょうか。しかも、結局卒業しても覚えているのはそういうことだったりしますよね。

海外の話や日本以外の話をすることは、授業へ批判的視点を持ち込み続ける努力でもあると思います。
みなさんはどうお考えでしょうか。

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