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日々読み #22

3/27 晴れ

最近、言葉が自分を助けてくれるような感覚というのがある。
訪問の場でケアをしているとこれでいいのかなという局面にぶつかることが多い。
病院であれば治療や苦痛の軽減といったある種の目標みたいなものが明確にあって、そこにアプローチしていける。しかし訪問看護はその人らしい生き方を支えていくことが目標であって、必ずしも医療的にベターな選択にならないことがある。

医療者という身でありながら、その人の生き方をよりよく、その人らしく支えていくというのは言葉で言うよりもはるかに難しい。
迷いの中でなんとか答えらしきものを探して続ける実践の連続だ。セオリーからは逸脱し、迷いも生まれる。迷い続けるのはとても辛い。迷い続けても答えがあるわけではない。
苦しくなった時にケアの先人たちが残した本を読むと自分の周りに言葉が満ちてきて、少しずつ前に進めるような気がしてくる。
言葉は迷いを彷徨うための道具をくれる。
今日もまた本に、言葉に救われた。
また明日からも頑張ろう。


3/28 晴れ

新しいカメラを何にするかで悩んだ。フィルムカメラ、一眼レフ、ミラーレス、中盤、フルサイズ、APS-Cサイズ、マイクロフォーサーズ。Nikon、Canon、SONY、ライカ、FUJIFILM迷える箇所は無数にあった。たとえこれがいいかなと思ったものが決まっても
本当に自分は扱えるのだろうか。そもそも自分は何を撮りたいのかとぐるぐる考えた。
結局のところ、調べてわかったことは性能だけだった。
気になる機種たちも使う人たちが使えば、全く違う印象になる。だからネットには答えらしきものが転がっているだけで、自分の望む答えはなかった。

いいカメラはもう出揃っているんだと思う。どれを買ってもいい写真を撮るための性能は整っている。あとはもうどれかに決めて、それで撮ることを決めるのがいいのかもしれない。これからもたくさんいい機種は出るわけでそれを追っていたらいい写真を撮ることに集中することができなくなる。
もうカメラは決めちゃって、写真を撮ろう。


3/29 晴れ

フレアがかった陽光がハンドルを握る手に降り注ぎ、太陽の力が増していることを感じる。冬は見事な枝ぶりの大樹の枝先に薄緑の若葉が小さくついていて美しい。
春の桜に目が行きがちで、若葉がこんなにも美しいことにこれまで気づかなかった。
今日はあいにくカメラをもってきてない。
カメラで撮りたい瞬間はいつもカメラを持っていない時に起きる気がする。


3/30晴れ

新しいカメラを買った。
最初は妻が持っていたデジタル一眼を引っ張り出して写真を撮り始めた。絞りとかシャッター速度はわからなかったからとりあえずプログラムオートで撮り続けた。自分の目で見ていたものがカメラを通して見ることで見え方が変わったりするから写真は楽しい。
そのあとはフィルムに興味が湧いた。フィルムならではのノイズの入った写真が撮った時の空気を含んでいるような気がして嬉しかった。
フィルムはいろいろな制限があるせいか、とても情緒的な写りをして楽しい。でも日に日に自分が見ているものをより多く写してみたくなってきた。

だから、新しいカメラを買うことにした。
最新機種はこれまで使ってきたカメラとは全くと言っていいほど別物で新鮮だった。迷いに迷った末に自分のカメラを決めた。
現行機種のボディにオールドレンズをつけたカメラ。少し歪だけど自分はこれがいいと思った。これからはこのカメラで撮っていこうと思う。


3/31 晴れ

年度末だったことに退勤前に気づいた。
また新たな年度が始まる。
昨年度は転職や結婚にとたくさんのイベントがあったから騒がしかったように思う。
今年は少し落ち着いて、目の前のことに集中する年にしてもいいのかもしれない。
他の事業所の方が条件が良い、悪いとかそういう一時的な情報に踊らされずちゃんとやる年に今年はしたい。
そんなことを帰り道思った。


4/1 晴れ
今日は久しぶりに会津に帰る。朝からどたばた準備をして、珍しく予定の時刻通りに出発できた。駅に向かう道すがらこの前会った学者夫婦に会って、駅ではのんさんに会った。心が嬉しい朝。

東京駅に出てから、新幹線でまずは福島へ。久しぶりに福島駅のホームに降りた。見慣れたホーム、改札、キビたんのモニュメント。友人が近くまで迎えに来てくれた。友人は結婚をし、少し清潔感が増している。
大学の頃はバイトか飲み会に明け暮れ、空き時間が1時間でもあればパチンコで万札を擦り続けたあの男が結婚をして、マンションを買ったという。
5年の歳月を経てお互いに変化していた。喜ばしい変化なのだけれど、ほんの少しだけ寂しさもあった。でも根っこの部分は変わっていなくて、お小遣い制になった今もパチンコ愛は冷めず、なんとかやりくりして出かけているようだ。
久しぶりに会ったのに少し話しただけであの頃の空気に戻れた。
近況を報告し合い、妻を紹介する。大学時代の田舎臭い写真を何故か大量に持っていて、変な汗が出たけどわいわいとても嬉しかった。


夜は会津の旅館に泊まった。
棚田の湯という名物のお風呂がある旅館だ。
名前の通り棚田のように三段連なった形で露天風呂が展開されていて、三段目には寝ながら入れるようにしつらえてある。
少しゆったりとしたかったからそこに寝転ぶ。
目の前には会津の星空が広がっていた。
田舎ではあるけれど崖下に街があるから、満点の星空とまではいかなかったけれど美しい星空でしばらく見入ってしまった。
会津の空はこんなに星が見えたのかと驚いた。

上京したての頃、都内の夜はこんなに明るいんだと驚いた。そして都内の空は小さく、微かに光る星らしきものか飛行機の点灯した光があるのみだった。
当時はそれが都会に出てきたんだなあと感じさせるものではあったけれど、空の狭さが知らず知らずのうちに息の詰まりみたいなものを蓄積させていったのかもしれない。
久しぶりに地元の星を見て、春の夜風を感じて、目を閉じる。お湯の音、風にゆっくり揺れる草木の音、おじさんたちの憩う声、子供達の賑やかな声、あらゆるホームの音に包まれてとても心地が良かった。
ホームがあることはこんなにも大きいんだと感じさせられた。
田舎で生まれたことのメリットはこういうことなのかもしれないと思った。


4/2 晴れ

今日は結婚報告会だった。
僕たちは結婚式をやらないと決めたから、今日の会はいわゆる結婚式+披露宴ではない。僕の親戚に妻を紹介する結婚報告会だ。
提案は僕の親からだった。親が親戚に僕の妻を紹介する場を設けた方がいいのではないかという提案からこの会を開催するに至った。そして一生に一度の晴れ舞台なのだから綺麗な衣装に身を包んで形に残す方がいいだろうと思ってのことだった。
今日は改まって和装、洋装に仕立ててもらってお披露目会をした。

衣装をきめてからも何度も試着に出向いたり、コロナの影響もあって会の延期が必要になり、リスケの必要性が生まれたり。
親も大変だったが、妻や僕も大変だった。
それでも当日は春らしい晴天で、雲一つない青空だった。なんだか縁起が良くて嬉しい。

当日は早めに会場に出向き、和装の着付けを始めた。新郎の着付けとメイク含めて20分で完成したが、新婦の準備は3時間ぴったりかかって完成した。
ヘアメイクに1人、メイクに1人、着付けに1人、アイスタントの方に1人。総勢4人がかりで作り上げていく様子は圧巻だった。

見事な和装に身を包んだ妻は美しかった。
そして妻と並んだ自分の和装姿を見て、改めて僕はこの人と結婚したんだなあと認識した。
もちろん生活をともにして時間も経っていたから、家族だという認識はあったけれど結婚という実感は薄かったのかもしれない。
改めて和装の妻の姿を見て、実感が湧いた。

神殿に移動すると久しぶりの顔ぶれが並んでいた。
コロナの影響もあって両親とも4年以上会えていなかったから、義理の兄たちとは10年近く会えていなかった。僕らもみんなも少し緊張していて、お互い空気が固かった。それでも時間が経つにつれて、解けていき、みんなの温度や色が混ざっていく。
僕の色、両親、姉家族、そしてゆきちゃん。
混じり合ってすごく素敵な色になっていった。
もっと話したいことがたくさんあったけれど、時間の制約はすぐにきてしまった。
それでも僕の大切な人を大切な家族に紹介できて、本当によかった。この場に集まった人たちが生きてこの日を迎えることができて本当によかった。

この先もそれぞれの人生があって、なかなか一緒に集まる機会はそう多くないのかもしれない。だからこそ今日を一緒に過ごせてよかった。
妻にも今日という日がいい時間だったと思ってもらえていたら嬉しいな。


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