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日々読み #34

6/19 くもり

職場の先輩が利用者との関わりのコツを教えてくれた。
介入の中にも起伏やストーリーを入れるという。
具体的に言うと指摘ははじめに短く、認めていることやできていることは後にするのだという。
そうすることで自分たちが言わなきゃならないことも伝えられて、最後は利用者も気持ちよく介入の時間がすぎていく。良い終わり方をすると、次の介入もいい循環になっていくそうだ。
これまで介入の中に流れみたいなものは意識せずに関わっていたから、完全に目から鱗だった。
病院では介入時間に制限はなかったけれど、訪問看護は30分、60分、90分と区切りがある。
それは病院と訪問看護での大きな違いだ。
なんだか水泳の自由形の種目に1人だけ平泳ぎで臨んでいたくらい、衝撃的だった。
普段、人の訪問が見れないからこそこうやって先輩の知見を取り入れるのは大事だと思った。


6/20 晴れ

自分で現像した写真をインスタに載せた。
妻からは「少し青いね。でも上手くなったね。」と言われた。
素直に嬉しい。

写真家の写真をよく見るようになった。
前もいい写真だなあと思っていたけれど、改めて今もう一度見直すと
ものすごく上手いことに当たり前のことながら気づく。
前よりは解像度を高めて写真を見ることができ始めているのだろうか。
焦らず、着実に目の前のものを撮っていこう。


6/21 晴れ

メンバーの介入に同行してケア中の写真を撮った。
真摯にケアに取り組むメンバーの姿をカメラに収めていく中で、ふわっと嬉しくなる気持ちが出てきて驚いた。撮っている最中に「ああ、いい表情してるな。ああ、この人ぼくの同僚なんだよな。いいな。いいところで働けているな」と素直に思えたのだ。
まだまだ足りないところや気に食わないところはいっぱいあって、悶々とする日もあるけれど結局いい人たちなんだよなあって思えた。
この人たちと働けている今って案外いいのかもしれない。


6/22 曇りのち雨

昨日はまたケア中の写真を撮らせてもらった。
なるべくいつも通りの2人の姿を写したくて、カメラのオートモードに頼らず、マニュアルで音の出ない設定にして撮影した。こういうときに空気を邪魔せずに撮れる90mmとか欲しいなあと思ってしまう。
撮影に協力してくれた利用者の方に「いつ写真撮ってたの?音がしないから、撮ってないのかと思っちゃったよ」と言われた。音のでない設定が盗撮みたいに思えてしまったかなと思ったからすぐ謝ろうとした。
そしたら続けて「さすが、看護師さんだなあ。そういう細かい気遣いがさすがだよね。」といってくれた。

その言葉を待ち望んでいたわけではないけれど、すごく嬉しくなった。
こういう気遣いはカメラを続けていく中で絶対に忘れちゃいけないなと思った。
撮影することに集中しすぎず、目の前で起きている場を崩さないように丁寧に移していくこと。
それがいい写真を撮るための機材以上に大切なことなのかもしれない。


6/23 くもり

最近、事務所で任された仕事を前のめりでやっている。
ただ熱心にやっているだけでなくて、与えられた範囲の仕事から目線を広げてやった方が良くなることにも目を向けて仕事をしている。
自分で何かを考えて実際にやってみると案外、頭だけで考えている時よりもずっと面倒だったりする。
それでも「今」できることに集中したり、計画を練ってみたりすると、少しずつ転がっていく。

つい実際に手を動かす前に、転がった後のことや損とか得とかを考えてしまいそうになる。それも時には大事なのかもしれないけれど、今は気にしない方が良さそうだ。とりあえず目の前のものがいい方向に転がって行くように祈って、手を足を頭を口を動かしていくだけだ。
少しめんどくさいけれど、なんだか楽しい気もする。仕事ってこうやってやっていくもんなんだと思う。


6/24 くもり

今日は妻が友達と出かける予定があったから1人で過ごした。
久しぶりにひとりの時間だったけれど、結局オンコールだったから家で過ごした。
時間があったから写真の現像をがっつりやっても良かったのに結局のところ、アニメを見たり、実況を見たりだらだらしてしまった。
時間はたくさんあってもなんとなく過ごしていると無駄にしがちだ。時間が取れる時が前もってわかるのであれば、その時に向けて準備していないと流れていってしまう。あたりまえのことなんだけど、今日はそのことを書いておこう。


6/25 晴れ

今日も家で過ごした。
午後は来客があるから2人で掃除をした。
人が来るとなると他人の視点で家の中を見るから、いつもより掃除が丁寧になる。
丁寧になるというよりもいつもより気づくようになるみたいな感覚かもしれない。あ、ここが汚れてるなとか、ここが気になる人もいるかもしれないから綺麗にしておこうとか。
こういうことって案外いろんなことにも言えるのかもしれない。
ケアでも文章でも写真でも、他人の視点で見てみる工程を挟むことでよりよくなるのかもしれない。
自分の好きなようにやってみてから、他人の目で見つめ直してみる。自分の中の他人の数が多ければ多いほど気づくことができて、磨かれていくのだと思う。自分の中に自分じゃない人はどれだけいるのだろう。明日から他者の視点でのぞくことを意識してみよう。

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