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日々読み #27

5/1 曇り

昨日読んだ「ぼけと利他」で「余白」の大切さが書かれていた。宅老所よりあいの施設長村瀬孝生と東工大の教授伊藤亜沙さんの異色の2人による往復書簡集であったのだが、やりとりがすごく面白くて読んでいてわくわくした。

2人の手紙のやりとりは文学的で美しい。そして、ケアはこんなにも軽やかに、楽しく、哲学的に捉えられるのかと思わされた。

ケアをしていると持てる策を全て出し尽くしてしまう瞬間がある。僕はこの本を読むまでそんな瞬間が怖かった。持てる策がなくなった途端、行き詰まり感を覚えて苦しくなる。

だが本の中でそんな八方塞がりの瞬間こそ、2人でぼーっとするのだという。

策が尽き果てた時、2人でぼーっとすると2人の間に「どうしようもなさ」という余白が生まれ、新たな展開を呼び込むことができるという。

寝たきりでぼけの深い方にこの本で学んだことを試してみようと思った。その方はいつもケアをしようとすると、怒り出してしまう。触ってくれるな!という表情と攻撃を僕に示してくる方だ。いつもこの方のケアには困ってしまっていた。今日やろうとしたことは余白を作るために相手のタイミングになるまで可能な範囲で待つことと、なるべく言葉に頼らず非言語的なコミュニケーション(ジェスチャー)だけでケアすることのふたつを意識して関わってみた。

最初は半信半疑だったけれど、この二つを意識して関わってみると、いつもはバイタルサインも測らせてくれない方がケア抵抗なく受け入れてくれた。

拒否なくケアができただけじゃなくて、表情で意思表示を向こうからしてくれた。しかも僕が作ったルールを悟ったのか、表情だけでコミュケーションをしてくれた。
余白を作るだけで、こんなにもこの人の力を引き出すことができるとは。ケアの奥深さをかんじた。

最近つくづく思うのは、言葉があることでケアをより健やかに営んでいける実感だ。先人たちが紡いできた言葉が今の僕に少し新たな視点を発見させてくれたり、目線を上げてくれたり、肩の荷や息苦しさを和らげてくれたりしてくれる。
ケアラーをケアするのは言葉なのかもしれない。


5/2 晴れ

つくづく思うのは一生を通じて、看護を嫌いにならないでいたい。もちろん看護は人の命を預かる仕事でもあるから、責任もあるしキツイこともある。けれどもそれ以上に楽しさや充実感がある仕事でもある。
これまで過度に忙しすぎたり、身体への負担が大きすぎて、看護自体が嫌いになって辞めていってしまう人を何人も見てきた。それは本当に悲しいことだと思う。

そういう僕もあのまま病院で働き続けていたら、体を壊すか、看護が嫌いになっていたかのどちらかだった。大きな病院で築くキャリアも大事だけれど、看護を嫌いになってしまっては元も子もない。だから僕はここに来て良かったと思う。
まだまだ反省すべきところはたくさんあって、課題もある。それでも看護を悩みながら楽しめている。


5/3 晴れ

自分がリーダーになった時のために書いておく。
みんなで働く上で大事なこととして、感覚を合わせるということって大事だと思う。

同じ職場に通って、同じ時間を過ごしたとしてもそれは揃えようとしなかったら、揃わない。そもそも人にはそれぞれの感覚があるし、育ってきた年代や背景、立場も違うからそんなのできっこない。

基本的に100%伝えるのは難しいというスタンスでいながら伝わるように言葉や術を尽くすことしかできない。みんなを束ねるリーダーはそのことを知るべきだ。
言葉で伝えなければ伝わらないことは絶対にあると思う。そう思った。

そして、基本的に相手を信じてあげなかったら相手が期待に応えようと思ってくれることなんてない。それに期待していることを伝え続けなければ相手は見捨てられたとすら思いかねない。リーダーはメンバーのダメなところを探すことより、メンバーを気にかけていることを伝えることの方がよっぽど大事だと思う。


5/4 晴れ

常に余白を持っていたい。別に常ににこにこしていたいというわけではないけど、穏やかに余白を持って生きていたい。自分の余白があれば大抵のことはなんとかなる。無理難題な依頼も、ちょっとした忙しさもなんとかなる。でも余白は行き当たりばったりの生活では生まれにくい。前もって、余裕をもって、なんなら念の為にやっておいて初めて余白は出てくる。
余白を持つためには、ちゃんと生きなきゃならない。適当ではなく、きちんと。
またきちんと生きることが答えになった。

今日もきちんと生きよう。


5/5 晴れ

こどもの日。
今日はよく行くお気に入りのライフスタイルショップで短パンを買った。ヒノキやマリーゴールド、インドアカネといった植物を染料に染められていて、黄色、オレンジ、ピンクと鮮やかでにぎやかな色で美しかった。店頭に並べられた短パンたちは草木染めとは思えないほど。
緩やかに色落ちもしていくようで、色落ちした姿もこれまた良い。迷いに迷った末に、黄色を買うことにした。染料に植物を使うため一点一点微妙に色の入りが違う。僕はパッキリとした黄色が良かったから、一番濃いものをチョイスした。
マリーゴールドカラーの黄色の短パンであっつい夏も楽しんでいけそうだ。気分はたんぱんこぞうだ。


5/6 晴れ

怒っている相手を前に、つい自分の正しさの主張やそれらしい言い訳をやってしまいそうになるけど、その人は怒るだけの悲しさとか不安とか、苦しさ、怒りを感じていたのだ。
怒る前のその人の気持ちは「真実」なのだ。
その気持ちはその人の場に身を置いて考えないとわからない。
まずは自分を守る前に、自分が傷ついてもまずはその人が感じた痛みを自分も感じなきゃならない。
対岸同士で話し合っても、溝が深まるだけで何も埋まらない。立ち位置が溝を深めていってしまって取り返しのつかないことになるなんてことはよく目にする。まずは相手の岸まで渡っていこう。そしたら2人並んで解決策を一緒に探せるようになるかもしれないのだから。まずはそれからなんだと思う。


5/7 晴れ

自分のために書かれた文章ではないけれど、糸井さんの本日のダーリンに投稿された言葉が響いた。
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あと、これは、つい忘れがちなことなんだけれど、ゴールデンウィークに一週間も開催しているイベントは、働いている本人もがんばってますが、その本人の「家族の人たち」のがんばりが支えてくれています。手助けや、がまんや、思いやりをたくさんもらって、それぞれが売り場に立ったりしています。その家族の方々に、ほんとうに感謝しています。

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僕も訪問看護師としてゴールデンウィークはいつものように利用者の方への訪問をしていた。今年は最大10連休取れた人もいたようだ。特別訪問看護指示も出ていたし、オンコールも1週間持っていたから実質休みはなく、仕事だった。
自分はその働き方を受け入れた上で働いているわけだけど、妻はそれに付き合ってくれているから続けられる。街中や近所のお友達たちがゴールデンウィークでお出かけしたり、帰省している中、どこにもいくことなくゴールデンウィークを終えた。妻は休みだったけれど、僕に付き合ってくれてどこにも行かなかった。
多分、妻も一緒にお出かけしたかったろうし、どこかに行かなくとも買い物に行ったり、カフェでのんびりしたかっただろうと思う。でも妻は毎日僕を送り出して、応援してくれた。
僕は妻の手助けやがまん、思いやりをもらって仕事をしているんだなあと改めて思った。ありがとうと素直に思った。

人にはその人の背後にはその人を支える家族や大切な人たちがいる。それはどんな人でも当てはまるはずだ。そんな人たちがいて、僕らは自分でいられる。

僕も自分と関わる人たちの後ろには多くの人の思いがあることを常に考えておきたい。そしてそのことに感謝し、どんな時でも配慮できる大人でいたいと思った。

僕の通う利用者の人たちにも少しはそんな僕の家族のことを思ってくれていたら嬉しいな。

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