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【え2】目に付いた2つ

「note」というクリエイティブな方々の集合体に飛び込むにあたり。
『ペンネーム』と言う程のおこがましさはないが、新たな名前を付けなければいけないなと思った。

永年に渡って続けているTwitterでのアカウント名もある。
僅かな期間ではあったものの、ブログにも同じものを用いた。
今では懐かしいツールであるmixiも、その一つ。
但し、そこで使っている通り名は、こういう環境には馴染まないものであり、且つ、匿名性の高い世界であっても『身バレ』はしたくない。オフラインでも同じ名前で呼ばれている。ますます身バレはしたくない。自分の天性である「飽き性」に加えて「らしくない事」を書き記している。その両面が公然となることに対する拒否感が、そうさせているのだろう。

自分はラジオを聴く機会が多い。
その中でよく耳にする方がいる。フリーライターの武田砂鉄さん。歳は自分の弟に近いが、聡明で、それでいて出演者の放つ冗談も袖にしない。逆に言えば「出演者が冗談を言いやすい人」なのだろう。いや、そうだ。
同じような方に、荻上チキさんがいる。荻上さんもまた自分より若いにも関わらず、博識でユニーク。知識が幅広いのは、時事的番組のパーソナリティをされているのも理由の一つだろう。
フリーライターや評論家と称される職業は、自分にとっての憧れ。自分もフリーライターやエッセイストといった類を名乗らせて頂いているものの、片足を突っ込んだ程度。到底お二方の足元にも及ばない。吹けば何処まででも飛ぶような、しがない存在だ。
せめて何らかの形でも近付きたい。それが人情ってものだろう。

お二方とも源氏名…もとい「通り名」でお仕事をされていると推測する。本名ではない筈だ。
百歩譲って「チキ」は本名だとしても、自分の子供に「砂鉄」なんぞ付けない。逆さにして鉄砂と書いて「てっさ」とするのであれば別だが。
(ちなみに、Wikipediaによると荻上チキさんは姓名ともにHNとのこと)
何はともあれ、お二方の手法を参考にして、noteでの通り名を考えた。

安易な手段ではあるが、それなりに考えた。よくある苗字にするか、珍しい姓を使うか。名前も然り。有名人から拝借するか、横文字にするか。果ては改宗してクリスチャンネームでも頂くか。さすがに改宗までには至らなかったが。
話を盛ってしまった事はともかくとして、考えを巡らせたのは事実。しかし、最終的には時間を浪費しただけだった。

「仕方ない。今持っているHNを使おう」
そう思った時、ふと目に留まったものがあった。偶然というのは、状況によって奇跡や珍奇な事象を起こす。自分の場合は後者だ。
目の前のモニターに、田中将大投手がニューヨークヤンキースから楽天へ戻った旨のニュースが表示されていた。それと共に、自分の右側に置かれている文房具の中からシャープペンの替芯が目に入った。改めて言う。偶然というのは奇跡ないし珍奇だ。
その瞬間、noteという場での自分の通り名は『田中替芯』で収まった。トンチキ極まりない名前だが、妙に座りがいい。再考という言葉に手を出す事はなかった。

もし目の前のモニターに、巨人のコーチとしてカムバックした桑田真澄のニュース、右側の文房具の中からホチキスが目に留まれば「桑田ホチキス」になっていたかもしれない。ディーン・フジオカの話題とペン立てに挿されている青ペンが目に飛び込めば「ディーン青ペン」になっていたかもしれない。しかし、どちらも自分にとって座りは宜しくない。そして、再び無駄な時間が費やされていたであろう。

子供への命名は、慎重且つ丁寧になる。時間は親となる者それぞれだが、「目に飛び込んできた事物」で決めるケースは、極めて稀だろう。以前に「悪魔ちゃん騒動」なるものが話題となったが、それもまたレアケースだろう(引用:Wikipedia)。話は飛ぶが、自分は「キラキラネーム」と称されるものを忌み嫌う。例えそれが常用漢字だの役所が受理しただのと言っても、子供に「光宙(ピカチュウ)」と名付ける方とは、懇意になれない。

ペンネームやラジオネーム、ハンドルネームや通り名、芸名や源氏名。
どれも「熟考の結果」ないし「単なる思い付き」にせよ、基本的には自由だ。長いものもあれば短いものもある。憧れにアレンジを加えたものもあれば、極めて直球的なものもある。
同じフィールドに身を置く方々の目を曇らせるものでなければ、縛られる事はないと思う。

ちなみに。
旧芸名「赤いプルトニウム」こと赤プルは、防災士の資格を取得したそうだ。(リスク対策.comより)
この場合は、たとえ芸名であっても生き方にも影響する。

改めて言う。偶然というのは奇跡ないし珍奇だ。


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