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【え15】華麗なる泥臭さ

私は43歳。
いわゆる「キャプテン翼」世代だ。

印象に残っているシーンは、常に登場人物がシュートを撃つ時だった。
ドライブシュート。タイガーショット。
ツインシュート。スカイラブハリケーン。
そしてオーバーヘッドキック。
どれを取っても、カッコ良さを幼心に植え付けるには余りあるものだった。

1993年。
それまでは日陰の存在だった日本サッカー界が、「Jリーグ」という名で華々しくメジャーなものとして脚光を浴びた年。
それまで架空の世界でしか見ることが無かった私は、眼前に映し出される生の選手達が躍動する様子を見て、すっかり夢中になってしまった。

しかし、その中であっても私が注目していたのは、テクニカルなパス回しでも間一髪で相手選手のゴールを阻む姿でもなく、シュートを撃ち込む選手達の姿だった。

様々な経過をたどり、ストライカーへボールが渡される。
そして華麗なシュートを見せる。いや、魅せる。
ゴールへの距離が遠ければ遠いほど。
ゴールネットを揺らす勢いが強ければ強いほど。
ストライカーから蹴り出されるボールが曲がれば曲がるほど。
トッププレーヤーでしか表すことの出来ない美しいシュートの数々に、ますます私は惹かれていった。
そして躍動する選手達は数多くの人々の目に触れることによって、そのレベルを着実に上げていった。

1998年。
日本サッカー界は「世界の舞台」に昇ることとなった。
私自身「夢のまた夢」としか感じていなかった舞台に、日本を代表する選手達は立ったのだ。
そこまでの道のりは決して容易ではなかったものの、彼らは自らの力でその舞台への切符を勝ち取ったのだ。

そして、世界の舞台は幕を開けた。
しかし、それは決して甘いものではなかった。
私が今まで感じ取ってきた「華麗なシュート」が登場することは無かった。
それどころか、相手のゴールネットですら揺らすことが出来なかった。
世界を相手に闘っている選手達とともに、私も世界の壁を感じていた。
ある選手は、半ばヤケになってオーバーヘッドキックを見せていた。
それはプロの成せる技ではあったが、私が求めるそれではなかった。

予選という場ですら、世界との差は歴然だった。
やっと掴んだ「世界の舞台」は、私には甘美なものに見えなかった。
国内で繰り広げられるシーンのようなものは、見て取れなかった。
掴み取った切符は、確実に終点へと選手達を運んでいった。

そして、予選の最終戦が火蓋を切る。
そこでも世界の壁は高く、厚い。
必死になってその壁を登ろうとしている選手達を、相手チームは尽く叩き落とす。打ち破ろうとする選手達に、その術を与えない。やはり「世界の壁」なのだ。
華々しくスタートを切ったJリーグで戦う選手でさえも、それに対しては無力なのだ。
私は半ばそう感じていた。

その時だった。
一人のプレーヤーに、ボールが届いた。
目の前には「世界の壁」がある。高く、厚い壁がある。
彼はそれに向かっていった。
そして僅かながらではあるが、その壁は揺れた。
彼は、確実にそれを揺らした。打ち崩すまではいかなかったものの。

彼のシュートは、私が幼心より抱いていた「華麗なもの」ではなかった。
決して美しいとは言えなかった。甘美という表現と対局にあった。

だが、世界の壁を僅かながら揺らした彼の眼差しからは、今まで私が求めていたもの以上の何かが感じ取れた。
世界の壁に立ち向かう執念を、彼は「泥臭さ」で見せてくれた。
いや、魅せてくれた。
その瞬間、私は立ち上がり、彼に対して惜しみなく賛美を捧げた。

彼が私に見せてくれたもの。見せ付けたもの。
それは決して、今まで私が求めていた華麗なものではない。
幼心に植え付けられた力強さでもなければ、メジャーとなって眼前に映し出された際の美しさもない。
ただ、それを超えるものがあった。
私の「印象」という壁は、彼の姿で撃ち破られた。

華麗なる泥臭さ。
私が抱いていた「サッカー」というものへの魅力を、彼は否定した。
その否定に対し、私は肯定した。


#サッカーの忘れられないシーン
【参考文献】
 ・Wikipedia「日本プロサッカーリーグ
 ・Wikipedia「サッカー日本代表
 ・Wikipedia「中山雅史