見出し画像

臨床心理士の東畑開人さんと対談しました

年明けに新作短編を公開してから心の不調が改善されてきている。小説の仕事が(正確にはプロット作りが)できるようになってきているのだ。

なぜ書けなくなったのか。
その原因の追求を続けてきたけれど、シンプルに「これだ!」とはならない。過剰適応しやすい自分の性格があり、売れたことでストレス要因が集まってきて、余裕があれば各個撃退できたであろうそれらが心に食いこんでしまったのだろう。「余裕があれば」の部分には、小説家周辺の労働環境も関わっている。コロナ禍がそのすべてを加速させた。
ただ、そういったマイナス要因だけが「書けない」を起こしたのかというと違う気もする。日本を代表する臨床心理学者・河合隼雄の本『心の処方箋』には「生まれ変わるためには死なねばならない」という章がある。

ある悩みのために来談し、心理療法を継続しているときに自殺未遂をされた人があった。それを機会にして、急激に悩みの解決が訪れてきたが、その後、その人が、「死ぬほどのところをくぐらなかったら、よくならなかったと思います」と言われたのが印象的であった。端的に表現すると、人間は生まれ変わるためには、死ななければならないのだ。と言って、それは身体の死に至ってはならず、あくまで象徴的に行わねばならない。

引用:河合隼雄『心の処方箋』

私がこの文章を見つけたのは、下の子が生まれ、でも仕事を失うことが怖くて休めずに、希死念慮に苦しんでいた頃だった。
『心の処方箋』の「生まれ変わるためには死なねばならない」という章にはこんなことも書いてある。それまでの生き方を変えなければならない節を迎えたとき、この「自分を変える」が非常に苦しいので、死にたい、の気持ちが出てくるというのである。そうか、私は変わりたいのか。幼虫は蛹の中でドロドロになるという。そこで死んでしまう幼虫も多いが、うまくすれば蝶になれる。自分を変えるというのは命懸けの事業なのだろう。
変わるために私は定時で帰る主人公の物語を書いた。

河合隼雄は村上春樹をはじめとする有名な小説家たちにも愛された人だった。だが残念ながら他界して久しく、書かれた時代が古いなと感じることもなくはない。そんな令和の社会へ現れたのが東畑開人さん。「カウンセリングで心を抉り出す」という記事で引用したことがある『心はどこへ消えた?』の著者である。

過去のインタビューによれば、東畑さんの「実家の本棚には心理学の権威、河合隼雄の本が何冊もあった」のだという。「心理学の世界では一時代を築いた人物、学ぶなら彼の所属する京都大学へ入ろうと猛勉強の末、合格する」ともある。

かつて河合隼雄の本に助けられ、そして今東畑開人さんの本でなんとか助かろうとしている私のnoteを読んで、新潮編集の若い編集者さんがビビッときてくれたようだ。
なんと、このたび、新潮社から出る東畑さんの新刊『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』の刊行に合わせて、私と東畑さんの対談が組まれたのである。以下は新潮社のプレスリリース。


対談タイトルは『働くことの達人へ贈る「落ちこみ」のススメ』。対談ページの最初にはこんな編集者の文章が載っている。

誰もが「働き者」になることで求められる社会で、私たちの心にはいったい何が起きているのだろう。『わたし、定時で帰ります。』シリーズで仕事について考えてきた朱野帰子さん。仕事に押しつぶされそうな患者たちの心に触れてきた臨床心理士の東畑開人さん。「働くこと」に深く向き合い続けるふたりが、東畑氏の新刊『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』を手に語らう。迷子の大人が進むべき”もうひとつの道”とは。

対談が始まるとすぐに、私は「書けなくなってる」ことを東畑さんに話した。すると東畑さんが言葉を置かれた。
「書けないというのはどんなふうに?」
そこから先は、就職活動からずっと競争をしてきて、出版界でもサバイブしてきたけれど、急に走れなくなってしまったことを話した。すると東畑さんがまた言葉を置かれた。

東畑 「競争社会でサバイブすることの副作用を言葉にするのが今回の本の課題でした。サバイブする人になるって、自分を競争社会の形にすることですから、心にとっては大変なことです」

朱野 「サバイブできた、強い側の人にこそ、向き合うべき傷があるように思うんですけどね」

東畑 「苦しみを語ることが難しいんですね。自分でもそれが普通だと思っていますから。今回の本のミキさんがそうでした。その「普通」は「普通」じゃないんだと、それはつらいことなんだというのが自分ではわからなくなるんですね(後略)」

この先は「小説新潮」の対談をお読みいただきたいのだけど、そのほかにも、歳が近いこともあって「中堅になること」についてもお話しさせていただいた。

対談が終わった後、私はまた変わりたいんだろうなと思った。
数年前に変えたのは「どう生きるか」とのむきあいかただった。それは「どう働くか」ということでもあり、私はどんなに忙しくても土日を休むことに決めた。でも出版界はどんどんネオリベ化していく。
「売れている間に次作を書け!」「今書いてるその社会問題はすぐトレンドじゃなくなる! 今すぐ書け!」「はやく、はやく、書け!」「朱野帰子という名前に、市場価値がなくなる前に!」
ヒット作を出して、中堅になって、社会に責任がある年齢になった。これでいいのか、と私は私に尋ねる。この環境に最適応していったとして、この先、小説家としての幸せはあるのか?
心が不調のあいだは、人生の自習期間と誰かが言ったけれど、これほど頭を使って考えたのは、数年前に希死念慮と戦った時以来だ。

そうして、私は『心はどこへ消えた?』を書店で見つけた。その末に東畑さんと対談ができることになった。人生ってふしぎだ。

余談だが、対談の後は揺り戻しがきた。
「私ばっかり話したので、対談原稿を構成するのが大変そう」とか、「あれで東畑さんの新刊の宣伝に貢献できたといえるのか」とか、「理知的な小説家に見せたかったのに」とか、「でもそういう完璧にコントロールしようとしたがるところがいけないんじゃないの。できないのに!」とか、自己嫌悪に襲われたのだ。でもそうやってぐちゃぐちゃになったことが良かったのかもしれない。

夜は好きな短編を書くことにした」という記事にも引用したこの言葉がまた頭に浮かんだ。今度はくっきりと。実感を伴って。

今日出社してこなす仕事が誰かの暮らしを楽にすると思えるなら、それはあなたの「帆」に吹く風となるだろう。仕事を有意義に感じられる。関わりたくなる。全力を尽くす。一日が終わる。また仕事のできる明日が待ち遠しくなる。次の日も。その次の日も。

引用:「ユニコーン企業のひみつ -Spotifyで学んだソフトウェアづくりと働き方-」Jonathan Rasmusson著

書けるようになってきたので私は、ネオリベに侵されるままになっている出版業界に戻らないといけない。戻ってどうなるのかを考えるとまだ少し怖い。評価されることもされないことも怖い。勝つことも負けることも怖い。でも、忘れないでいようと思う。
自分の市場価値が最も高まったときに書けなくなったこと。ただの能無しとして、無為に過ごした日々があったこと。そのとき読んだ小説が涙が出るほど面白かったこと。

送られてきた「小説新潮」に掲載された対談を見直したら、東畑さんがこんなことを言ってくれていたのに気づいた。

本はいいなと思いました。書けない日があっても、基本的には人に迷惑かけないから、ゆっくり時間をかけることができる。

ぜひ「小説新潮」でお読みください。面白い小説も載ってるよ!

<今回の記事に出てきた本>


この記事が参加している募集

仕事について話そう