カウンセリングで心を抉り出す

十月半ば、二週間休むとパートナーに告げた時、投げてよこされたのは「受診しろ」という言葉だった。もちろんメンタルクリニックをである。

私たち氷河期世代にとってメンタル不調は伴侶のようなものである。就職して5年後、2007年に若者の自殺率が過去最高に達した。当時、企業は既存中高年社員を守るため、新卒の若者たちの採用を抑制していた。さらにマスメディアは、パライトシングルとかニートとかいう言葉を撒き散らして「若者は怠惰だから就職しないのだ」と報道し続けていた。そりゃ若者も死ぬさ。

私の同年代の会社員の友人たちはそんな時代を生き抜いた人たちで、金融機関やテック企業や外資系企業やスタートアップなどで働いているが、傷病者になったことのない人はほとんどいない。メンタルを病んで投薬治療までしていた人もいる。そこから這い上がってきて管理職にもなっていたりする。ゾンビのような人ばかりだ。
我々夫婦も例に漏れずにゾンビである。メンタル不調はもう慣れっこだ。とはいえ、こういう場合、やられるのは脳なので、医者に行くタイミングは周りが判断した方がいい。なので、弱ってない方が「メンクリへ行け」と宣告することになっている。

私のかかりつけのクリニックの先生は変な人だ。奇人と言っていいくらいだが、どんなおかしな話でも聞いてくれそうで、そこが気に入っている。
初めて受診したのは、二人目を産んだ後に過労から適応障害になり、希死念慮にも襲われて、二年間苦しんだ時だった。再発しないように、治ってからもちょっとしたことで相談していた。「苦手な親戚からメールが来た」とか、「他者に対して攻撃的になってる」とか些細なことでも、それが原因で生活が止まってしまったら相談する。そして客観的な分析をもらって帰る。自分の書いた小説がドラマ化した直後も相談に行ったことは別の記事で書いた。

受診するのはいつも勇気がいる。私はまだ大丈夫。そう思って我慢してしまうのである。今回も、行こうと思えるようになったのは、休んで一週間くらいたった後だった。仕事を離れて、好きな本を読んだり、喫茶店でコーヒーを見つめてぼうっとしたり、予定のない一日を過ごしたり、そこでようやく「プロの助けが必要だ」ということを受け入れられたのである。

待合室には先生の漫画の蔵書が並んでいる。どれも社会から逸脱してしまった人たちの話だ。「愛の轍」を抜いて読んでいると、後ろから「どうぞ」と囁く声がした。久しぶりに会う先生が立っていた。
診察室に通されると、私はストレス要因になった出来事をかいつまんで話した。先生は数年前と変わらず、巨大な文字でカルテに書き留めていたが、聞き終わると「いや〜」と感心したように言った。「今話してくれたのはインデックスにすぎないと思うんだけど、それだけで大変って思ったよ」私は言った。「無理だと思っても断れない私が悪いんだと思います」先生は「うーん」と腕を組んだ。「でもさ〜、断るってさ、難しくない????」

そうなんだよ。

私は心の中でつぶやいていた。自分がなぜこうまで弱ったのかを他者に説明するとだいたい言われる。「そういうのは断っちゃっていいんですよ!」
しかし、相手が口説くのが上手いとか、そういう理由で「断れない」のならまだいい。断るか断れないかの裁量はこちらにある場合は。だが、自分がなにをやっているのかさえよくわかってない人に巻き込まれてしまう場合もある。そのために消耗し、やりたかった仕事を「断る」ことに、どうしても納得がいかないこともある。

「前回もそうだったけど、あなたの場合は言葉で解決したほうがいいでしょう」と先生はカウンセリングを勧めてくれた。最後にこうも言った。「だけどさ、四年前はアナタほんとに酷い状態で来たじゃない? でも今回はそれよりかなり軽症で受診できたよね」それを聞いて「ですね」と笑ってしまった。そこを褒められるとは思わなかった。昼も夜も死の衝動に耐えていた四年前に比べれば、今回の症状は「書けない」ことだけなので軽症には違いない。

最初のカウンセリングでは怒りを吐いた。SNSにも書けず、家族にもいえず、相談に乗ってくれた人たちにさえ言えなかった出来事を淡々と吐く。面倒な作家だと思われるのではないか。我慢するのが大人の対応だ。そう考えて自主規制していた言葉を吐く。間違ってるかもしれない言葉も、たくさん。
醜い感情も、差別的な言葉も、先入観や偏見も、誰にでもあるもので、それが一つもない人がいたとしたら、その人はおそらく人間ではない。でも、そういう歪んだ考えは一旦吐き出してみないと、自分で客観的に眺めることはできない。そういう意味で、SNSは自分を見つめる場としては最悪だ。発信したら最後、自分が見つめる前に火がかけられる。他者の存在が大きすぎるのだ。だが他者の手によってでは、人は本質的に変わることはできない。

変わるためには、まず、間違っていようと正しかろうと、自分の思いを言うことが必要だ。「あなたはそう思ったんだね」と言葉を受け止めてもらって、人は初めて自分と向き合うことができるのだ。
なので私はカウンセリングを利用する。1時間7000円以上もするが、ここなら「俺はお前の愚痴のゴミ箱じゃない!」とうんざりされることもない。相手はプロのカウンセラーなのだ。

もっと早くそうするべきだった。でも、それを阻む出来事が起きていたのだ。臨床心理士の東畑開人氏が書いた『心はどこへ消えた?』に書いてあった。コロナのあと、心が消えた、と。

 2020年の私たちは大きすぎる問題に振り回されることになった。
 世界中が同じウィルスに襲われ、同じ不安におびえ、同じ脅威に立ち向かった。みんながみんな、同じ物語に取り巻かれた。
(中略)
 大きすぎる物語は、私たちを「みんな」へと束ねあげる。そのとき、個人は群れの一員として扱われ、心を一つにするように求められる。
 社会を防衛するためにはしょうがなかった。生命を守るためには必要なことだった。それはわかる。大きすぎる物語には有無を言わなせないだけの説得力がある。
 だけど、そのとき、小さな物語が吹き飛ばされてしまったのもまた事実だ。

『心はどこへ消えた?』東畑開人著

カウンセラーさんは、コロナとは全く関係ない私の小さな物語に耳を傾けてくれた後「話が通じないってことですね」と言った。「そうです」と私の口は言った。「私は疲れた」そしてこうも言った。「私が悪いのだと思っていた。でも、その人たちの生き方の問題なのかもしれない」
いやなことを言ったと思った。自分だってそう思われているかもしれないのに。でも当たり前の感情だとも思った。誰だって話が通じる人と働きたい。我慢すべき感情ではない。

二回目のカウンセリングでは、「一回目のカウンセリングで怒りはだいたい吐いた」と言うところから始まった。でも話しているうちに、まだ吐けないでいる怒りを見つけた。聞き終わるとカウンセラーさんは「一回目よりも話が面白くなっています」と言った。ただ怒るだけではなくて、人物描写を一生懸命していたようだ。私は言った。「休んで余裕が出た分、この前来た時よりも、ストレス要因を遠目で見ている感覚があります。これが他人の話だったら聞いているうちに笑っちゃうと思います」
事実、カウンセラーさんが笑ったのをみて、気が済んだ感があった。

三回目のカウンセリングでは、「自罰傾向にあると最近よく言われる」という話をしていた。「私は逆だと思っていた。私は他責傾向にあるのだと思っていた。幼い頃、痛みを訴えた時、被害妄想だと言われたし、就職してから出会った上の世代の人たちにもそう言われたから。でも上の子と話していて、彼女も責任をしょいこむタイプだと気づいた。自分に責任がないことでも、もっと良い結果にできたのではないかと考えてクヨクヨしている。全てをコントロールするのは無理だよ、と言っても聞かない」
なんとなく、自分が自分の心の奥底に入ったなという感じがしていた。
「他人から見た私もそうなのかもしれない。これは生来のもので矯正は不可能かもしれない。そして、ある種の人たちからすれば、こういう私は都合のいい労働機械なのかもしれない」
でも、上の子には「そんな自分が嫌だ」と言える勇気がある。私は続けて言った。
「加齢とともに内省をしなくなる人が多くなると読んだことがある。氷河期体験はそれを痛烈に感じさせてくれた。でも、それは希望でもあった。歳をとれば楽になれるのではないかと思っていたのだ。でも、むしろ逆で、私は私をどんどん信じられなくなっていく。それが本当に苦しい。たとえアンコントロールな問題であってもなんとかするべきだと考えてしまう。そんなことできないのに。でも、これが私の逃れられない個性なのだとしたら、自分を受け入れてやるべきかもしれない」

話しながら思った。そんなことを考えていたんだ!

「自分が信じられない、不安から逃れられない、ずっと緊張している。幾夜も眠れずにテーマについて考えてしまう。でもそれは今の仕事をする上では正しい。私はきっと適職についたのだ。取り組むべきテーマも見つけられているのだ。だからこそ、こんな短い時間ではできないと説明しても聞いてもらえないことが怖かった。怖さを共有できないことが怖かった。でも、その怖さがわかるということこそが才能なのかもしれず、だとしたら私は自分を信じてやらなければならない。それができないでいるのが一番嫌だった」

そして、もう一つ、私はここに書けないことを言った。

カウンセリングの後、体が重くなって吐き気がした。
禁忌にしていた言葉を吐いたのだと思う。うえー、気持ち悪い。こうも思った。「これで書ける」自分から心を切り離せたからだ。四年前もそうだった。
抉り出されたその心は足元に横たわっていて、ビチビチ動いていて、体から無理に剥がされたから血だらけだ。でもお陰でよく見える。
家に帰りつく頃には、吐き気と疲労が激しくて、ベッドに横たわった。自分に向き合うということは激しい痛みを伴う。だからみんな嫌がるのだろう。

ベッドに横たわって、東畑開人氏の別の著書を読んだ。『心はどこへ消えた?』がよかったので、Amazonで過去作を検索して買っていたのだ。ケアとセラピーの違いとは何かを解説する章で、「ケアとは傷つけないことである。」とした上で、東畑氏はセラピーについてこう語っている。「セラピーとは傷つきに向き合うことである。」

 そう、セラピーでは痛いところを触ります。痛みを取り除くのではなく、苦痛を緩和するのでもなく、その苦痛をつくりだしている当の部分を変化させるために、その痛いところに触ります。歯医者でいえば、虫歯をガリガリやることですね。
 だから、何度も書いてきたように、世間一般でのカウンセリングのイメージは「優しいカウンセラーがうんうんと話を聴いてくれる」というものかもしれませんが、じつはそれはちょっと違います。
(中略)
 セラピーは自立を原理としています。自分の問題を自分で引き受ける。痛みや傷つきを受け止める。そうすることでより自由になる。人として成熟する。だから、ケアでは変化するのは環境でしたが、セラピーでは個人が変化していくことが目指されます。

『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』東畑開人氏

四年前、希死念慮に悩まされた時に、私が生き続けるために、自分から抉りとったのは「父は私を愛さないようにしていた」という感情だった。その感情を抉り出したあと、吹き出してきた血とともに喉を通って出たのは、「でも私は子供たちを愛したい」という感情だった。その二つの感情が内面で激しい戦争をしていて、その苦しみから逃げようとして死の衝動が起きていたのだと思う、とあのとき、私はカウンセラーさんに言った。

心はほんとにふしぎだ。むきあうたびに、強い意思が見つかる。

カウンセラーさんには「では二週間後にまた」と言われている。まだ続けるのか。もう治ったと思ったんだけど、と思いながら、二週間後が少し楽しみな自分がいる。私はもっと自由になりたい。