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愚かな女。1

華々しい成人式の後に、千夏は嬉々として私に話しかけてきた。
「今ね、お腹に赤ちゃんいるの」
千夏は真っ赤な鮮やかな振袖をきて、満面の笑みで話しかけてくる。着物に合わせて誂えたバックからエコー写真を取り出し、小さな赤ちゃんを見せてくれた。

その振袖は千夏の両親が誂えたものだった。
彼女の身分はまだ高校生で、あっけらかんと笑う千夏は、私よりも随分と幼く見えた。

子どもが子どもを産む。
私はその言葉が即座に浮かんだ。
そして、千夏の明るすぎる笑顔が、その事を強調したように感じた。
お腹は全く目立っていなかった。まだ膨らむ時期ではないので当然のことだった。でも彼女はもう膨らんできたよと、元気に言い放った。

千夏は、初めて出会った時から風変わりだった。
私と千夏は同じ高校を受験した、たった1人の同じ中学の出身者だった。その高校は、私たちの地元からは遠い上、校則も厳しく、誰も通いたくない事で有名だった。

私は中学生のころにいじめに遭い、誰とも同じ高校には進みたくなかった。
その条件と、誰も通いたくない学校、というのはとても相性がよく、私はすぐに受験を決めた。
でもその理由は、千夏とは全く異なった。

その高校は英語教育がずば抜けていたため、英語が得意(らしい)千夏は、そこの英語科に進学することを熱望していたのだ。
そしていつかはニューヨークに行き、舞台に立ちたいと話していた。私は彼女がそんな大志を抱いていることに驚いた。

千夏はお世辞にも容姿端麗とはいえず、その夢と彼女の雰囲気はあまりにも異なっていた。
バレエのレッスンやダンス活動はしていたようだが、それで目立つようなことは一切なかった。
それでも彼女は明るかった。
ダンスやバレエ、ミュージカルの話を、とてもたくさんしてくれた。その顔は実に生き生きとしていた。


高校受験は2人とも無事合格した。
私は普通科で、千夏は英語科だった。
クラスは一緒にはならないけど、2人で頑張ろうねと互いに励ましあって、別れた。
その後私たちは、高校の入学式まで会うことはなかった。

入学式当日の朝、千夏の様子は明らかにおかしかった。
千夏は起立性低血圧を発症していて、とても朝に弱くなっていたのだ。その上、朝食を食べると激しい腹痛を起こす体質だった。
よって入学式から早々に、体をくの字に曲げながらフラフラと歩き、自身の母親に腕を引っ張られ、やっとのことで登校していたのだ。
コイツ本当に大丈夫か?
私はそう感じながら、困惑でいっぱいの入学式を迎えた。

入学式がすむ頃には、彼女はいつもの様子に戻っていた。屈託ない笑顔はどこか頼りなかった。
まるで操り人形のように、くにゃくにゃと芯なく歩く姿は、その将来を暗示するかのようだった。

最初のひと月ほどは千夏と一緒に高校へ通った。
千夏は付き合ったばかりの彼氏の話を、電車に乗る間ずっと話していた。その彼氏は千夏より10歳も年上で、同じダンスグループの仲間だった。同時に千夏の所属するダンスグループの勧誘も受けた。が、私は全く興味が持てず、てきとうな事を言い断り続けた。
彼女との登校は、彼氏との毎度似たようなノロケ話ばかりで、次第に苦痛になっていた。

が、しばらくすると彼女と会うことはなくなっていった。
どうやら7時発、または7時15分発の電車には乗れなくなっていたようだった。
それは即ち遅刻を意味した。
彼女は入学早々から遅刻を繰り返し、必要な単位を取ることすらままならなくなっていたのだ。
とうとう定期テストすら満足に受けられなくなり、彼女は一年を待たずに自主退学をした。
いくら英語が好きとは言え、朝早くに起きなければ通えない高校を選んだことを、私は最後まで理解できなかった。

一度だけ千夏に相談を持ちかけられた事がある。
もう学校には行けない。でも部活には行きたいと千夏は悲しそうな顔で言った。
みんなが遅刻をするなという。でも私にはそれが出来ない。どうしたらいいと、思い詰めた顔で打ち明けてきた。

バカみたいに明るいファーストフード店の中で、私たちは光の差さない樹海のようだった。
私は千夏の事を愚かだと思った。
はなから通えそうにもない私立高校に、両親に大金を払わせて通い、学校は行きたくないが部活には顔を出したいという彼女を、私はただのわがままとしか捉えられなかった。

だから千夏に言ったのだ。
部活なんてなんの意味があるの、そんなことよりキチンと学校に通うべきじゃないの。夢があるならそうするべきでしょ。
私は正論を言った気になっていた。

彼女の顔はもう見られなかった。
彼女が顔を上にあげなかったからだ。

その後どうやって別れたのか、帰宅したのかは覚えていない。
その後、ほどなくして退学したという事を、風の噂で知った。

翌年の夏、私は久しぶりに千夏に会った。
理由は千夏の母から、よかったらうちの子の制服を、桃子ちゃん着てくれない?という、ありがたい申し出があったからだ。

千夏の住む豪華な日本家屋のお家に行くと、意外にも元気そうな彼女が、かつてと変わらない様子で出迎えてくれた。
千夏はアルバイトをしながらダンス活動に勤しんでいるようだった。
一方私はというと、運動部を一年で退部し、その悔しさを次に入部した美術部のキャンバスに全力でぶつけていた。
それはそれで楽しい青春だったけど、本当はみんなと同じように体を動かしたい気持ちでモヤモヤしていた。千夏は、そんな私とは対照的に、付き物が取れたようにからりとしていた。

制服を受け取り、ありがとうと声をかけると、彼女はにっこり笑って手を振ってくれた。
それから半年後、千夏が東京に行ったと知った。

続く。

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