2019年2月24日(日)

日曜の朝、しかも八時くらいという結構ちゃんとした朝、一日のうち三分の一が終了しているような時間の中野には、まだ土曜の夜を続けている酔っ払いが散見されて楽しかった。中野から中央線で新宿まで出て小田急線に乗り換えた。一旦東に向かってそれで引き返して西に向かうという形になって、これが最適解だとはどうにも思えなかったがyahoo!路線はいつだって真実しか言わないのでこれが一番早いです。各駅停車に乗った、南新宿では噂に違わず本当に車内の人数に増減が生じなかった、シートを占める半分が簿記の勉強をしてて笑った。会場である祖師ヶ谷大蔵に近づくごとにその割合が増えた、それで私もやっとくか、みたいなことを思って鞄を漁っていると隣に座っている若い女が全く同じ参考書をおもむろに開き出して流石に気まずいということになった、それで私は穂村弘を読み続けた。祖師ヶ谷大蔵ではかなりの人間が降りた、そこまで大人数を想定していない広さのホームで、人で溢れて電車が中々発車できなかった。たぶん中央線なら構わず発車していただろうが。Suicaに二百円くらいしか入ってないことを知っていたから精算機の列に並んだ、一つしかない機械に殺到して大げさでなく七分くらい並んだ、それでようやく私の番になってSuicaを差し込むと精算の必要はないと拒まれた。感覚よりも百円くらい安いというか、中央線が高いのか。いや中央線好きですよ。

それで途中のローソンで鉛筆とカスタードなんちゃらを買ってカスタードなんちゃらを食べながらウルトラマン商店街を歩くと日大のキャンパスがあった、なんというか柔らかさとスタイリッシュさが合わさって無機質な感じの建物だった。時間が来て注意事項の説明が始まった、いの一番に大地震が起きた際の諸注意から切り出されて驚く、この手の試験はずいぶん受けてない。大地震の対応のために止まっていた時間は計測しておきます、試験時間はそのぶん伸ばします、と言った、継続を前提としているらしかった、「受験票」と言う時のイントネーションが独特でその真顔も相まって笑わせに来ているのかと訝った。試験は手が疲れた。

日大を出て祖師ヶ谷大蔵駅に戻ると見せかけて左に進むと知っている場所に出た、高校に上がるまであの辺に住んでいた。十年ぶりに喜多見の周辺を散策した、変わっている場所も変わっていない場所もあった、街の変化に感じ入るというか、感じ入るために半ば意図的に鋭敏になっていた。通っていた小学校のほうに行って通学路を辿った、出鼻の、この突き当たりの公園を曲がったら小学校が見えてくるという目印になっていた公園が潰れていた。懐かしいというか、子を見守る親の気持ちみたいになっていた、しかしそれはビッグアースに対して不遜が過ぎるとのことだった。金魚を埋めた緑道がコンクリート敷きになっていた、住んでいた社宅は何一つ変わっていなかった、向かいの同級生の野口くんちのアルファードはなかった。まだ住んでいるのかは知らない。色々思うところはあって、これはいずれ別の形できちんと活字にしたいと思った、思っただけで終わる可能性は多分にあるらしい。というか野口って誰?

↑に書かれていることだけで私にしては既にかなり充実した一日感があるがまだ十三時くらいで、そこから神保町に行ってカレーを食べようとして失敗して別のカレー屋に行って食べて、新刊古書問わず本屋を物色して高円寺に移動してピザなど食べるなどをした、通常であれば三日分くらいの動きが凝縮されていたし、カレーとピザを同じ日に食べるのもたぶん人生で初めてでそういう食的な観点でも凝縮された一日だった。レイソルも勝った。明日から五連勤だ。

#日記 #エッセイ #コラム #小説 #創作



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