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ウラジオストクに蕎麦とニシンと文豪カフェを求めて ~極東ロシア紀行②

Vladivostok, Russia

シベリア鐵道で、ナホトカからウラジオストクへ向かつた。これに乘るために、樂しみだつたホテルの朝食を斷腸の思ひで諦めたのであつた(電車の發車時刻がやたらと早かつたのである)。

ウラジオストクでは、蕎麥とニシンの鹽漬けと文豪カフェを堪能しようと決めてゐた。蕎麥は麵ではなく、實(Гречка グレーチカ)を煮たものである。10年以上前に日本のロシアンバーで食べて、そのうまさに呆然自失した覺えがある。ニシンの鹽漬けは、まだ堪能したことがないが何度も耳にしたことがあり、妙に氣になつたものとして。文豪カフェは、子供の時からのロシア文學への憧れとして。

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ナホトカから鐵道に乘つたのは、朝6時前。ウラジオストク到着は11時前だから、約5時間。シベリア鉄道の始發點の一つはウラジオストクであるから、その東側に位置するナホトカからの路線はそもそもシベリア鐵道に該當するのか。この點を探ると、ウラジオストクーナホトカ間の鐵道は、「シベリア鐵道支線」に該當し、途中より「シベリア鐵道本線」に合流することが判明した。

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車窗からは、朝日がよく見えた。

かうして、𠌝妙な位置付けにある路線ではあるが、7年前に切符を買つたものの乘れなかつたシベリア鐵道の一端に、一應は乘ることができたと言へる。因みに、嘗て「ナホトカ航路(横浜―ナホトカ間の航路)」が存在してゐた頃、多くの日本人はナホトカから鐵道でモスクワを經由し、ヨーロッパに向かふといふルートが多く使はれてゐた時代もあつたといふ(ウラジオストクは軍港であり、長い間外國人の立ち入りが出來なかつた)。そんな時代に思ひを馳せ、ウラジオストクで食べる晝食にも强烈に思ひを馳せ、視界に廣がるロシアの大自然を楽しんだ。

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實を言ふと、旣にナホトカでも蕎麥の實(グレーチカ)を食べてしまつた。レストランでは賴みにくいが、食堂(Столовая スタローバヤ)では見て選ぶことができるので、それを見つけて感動し、衝動的に賴んでしまつた。一諸に食べた肉團子はとにかくまづかつたが、蕎麥はやはり美味であつた。この時から、ロシアでは食事の度に蕎麥を食べるという麗しい習慣が身についた(思へば、5年前にモスクワへ行つたときは、日程的に忙しなく、蕎麥を探し、樂しむ餘裕さへなかつた)。そしてウラジオストクで食べ步き、主食として美味い、お粥にしても美味い、炒めても美味いこの蕎麥の限りない可能性を知った。

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ウラジオストクのスタローバヤで。勿論、右下が蕎麥。眞ん中は砂肝のクリーム煮。左上は赤かぶのサラダ。

實を言ふと、ニシンの鹽漬けも、旣にナホトカで食べてしまつたのだった。ロシア到着初日に、キャビアと共にニシンの鹽漬けも買つてしまひ、これがどちらも量が多過ぎ、3日間かけて宿で少しづつ食べる羽目になった。しかし、キャビアはくどくて食べきれずお手上げとなり、最終的に宿の共用冷藏庫の中にさり氣なく置いてきたが、ニシンは病みつきになる味で、2日目からは黑パンやクヴァス(麥芽等を醱酵させた傳統飲料。22時以降は酒が買へなかつたので、仕方なくこれを代替品としたのだが)と一諸に食べることで、大いに味はふことができた。とは言へ、やはりお土產だつたらキャビアが見榮えがいい。大量に買はうと思つてウラジオストクの店で探すと、なかなか見つからない。ナホトカでは、格安でたくさん売っていたのだが。結局、キャビアの代わりにニシンの塩漬け(やら何漬けやらよく分からない物も含めて)をたくさん買うこととなった。気になるのは、どのニシンにも、書いてある年月日が大分前のものということ。これはきつと、賞味期限ではなくて、製造年月日なのだらう。さう信じるしかないだらう。

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これが、ウラジオストクの安宿での夜食。手前の楕圓形のものがニシンの鹽漬け。その左がキャビア。その上が赤かぶのサラダ。その右が黒パン。一番左の飮み物がクヴァス。

ウラジオストクにある文豪カフェは、「カフェ・プーシキン」といふ名である。プーシキン好きの店長によるものである。プーシキンの作品は、文庫化された和譯であればほぼ全て讀んだと思ふので、ここに寄るのがとにかく樂しみであつた。ここに寄るために、私は讀んでゐる途中の論文をかなぐり捨てて、事前にロシア文學を讀み始め、旅の最中も讀んでゐた。しかし、それはプーシキンの著作ではなく、プーシキンを讚へて止まないドストエフスキーの著作であつた。とにかく、善は急げでウラジオストクに到着して間もなく、行つてみた。しかし、無かつた。氣のせいだと思つた。

坂の多いウラジオストクを散々步き囘り、夕方疲れを癒さうと再びこのカフェを探した。やはり無かつた。萬事休す。絕望的になつたが、やはり絕望しようと無いものは無かつた。情報源が古かつたのであろうか。いや、それは、2018年5月出版のものである。文豪カフェでロシア文學に浸り切るという私の肥大化した願望は、見事なまでに蹈み碎かれた氣分だつた。

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まあ、步き囘つたお蔭で、展望臺からはこのやうな景色が見られたのだ。

少なくとも、何か藝術に浸らうと、バレエ劇場に行つた。バレエのみをひたすら觀る機會は、なかなか無いものだ。樂しみだつた。が、なぜかやつてゐたのはオペラだった。ロシア人がフランス語で演じるオペラ(カルメン)であった。上演時間は4時間と長かつたが、音樂も話も有名なものだつたので、どちらも樂しめた。劇の所々で、バレエを觀る機會もあったので安堵した。

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それにしても、ウラジオストクは魅力的な都市だが、觀光客が多過ぎる。一大觀光都市となつてゐる。ナホトカのやうな觀光客がゐない都市が戀しくなつてきた。少々脫出願望が生じ始めた。

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明るくて、いい町ではある。ただ、私は田舎が戀しくなつたのだ。

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