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自分には何もないから、とりあえず靴を磨くよ。

昨晩は寝付けなかった。寝付けずに夜通し嗚咽しながら泣き通した。
去年の8月末にうつ病と診断されてから、眠れない夜というものを一体何度経験しただろう。
訳も分からず落ち込んで、放っておくとすぐに涙があふれてくる。少し経つと元気が出てくるから、リハビリのために歌を作ったり、外に出て人に会って、誰かの仕事をちょこっと手伝ったりしてみる。するとちょっとずつ疲れが蓄積されてくるんだけど、「大丈夫。俺はもう大丈夫だから」と自分に言い聞かせて、また動く。

でも突然、また糸が切られた人形のように、ベッドから動けなくなる。
それが悔しくて、一睡もできずに泣きはらす。
5か月間、そんな日々だった。

悔しいのはそれだけじゃない。
踏ん切りがつかない自分が悔しい。
休んでも休んでも、まだ「よし働くぞ!」と思えない自分が分からない。
でもこれはチャンスかもしれない、とも思う。
歌を作って歌ったり、こうして文章を書くのが好きだから、まだ20代だし、一度サラリーマンをドロップアウトして本腰入れて活動してみたいという思いが、日に日に増しているのだ。

しかしこれもまた、踏ん切りがつかない。
この道で成功している自分が全くイメージできない。
同年代で活躍しているYouTuberやスポーツ選手たちがキラキラして見えて苦しい。
周りにも、自分のやりたいことを仕事にしたり、周りの目を気にしないでその人に合った暮らしをしている人がたくさんいるけど、彼らのように自分がなれる気がしない。

なんでそんな風に考えるんだろうと自分の心の奥の奥の奥の奥に問うた。

自分には何もないと思っているからだった。
自分が一番自分の可能性を信じていないからだった。

周りを魅了させる美貌もなければ、すぐ金になるような特技や才能はない。
我慢強いわけでもない。
生き方の要領もいい方ではない。
芸能一家でもない。
決断力もない。
今まで世間で目立った活躍もしてない。
そんな自分が、自分の生きたいように生きて、憧れの人たちのように無事に命を繋ぐことができるだなんて到底無理だと、人には散々「好きなことして生きたい!」と言っている当人が、強くそう思っていたのだった。

すごくショックだった。
でも訳も分からず泣き続けていたその「訳」が、休養5ヶ月目にしてようやく分かったのだった。
だからといってすぐに自信を持つことは、できないけど。

今朝は少し眠って、ようやく起こした鉛のように思い身体を引きずって、白湯を作り口をつけながらネットサーフィンをした。この5か月間は、今の自分を励ましてくれるサイトを毎日毎日検索している。

すると、ひとつの記事にたどり着いた。

【名越康文×しいたけ. 《対談》】君たちはなぜ「やりたいこと」が見つからないのか~vol.2~ 

https://townwork.net/magazine/life/80463/

「自分が世界を愛せるようになっておく」
「人生の身動きが取れなくなっている人は、"先っぽ"に対する意識がなくなっている」
これを読んで、ハッと思い、部屋をよく観察した。
掃除は嫌いではないので部屋は一見綺麗そうに見えるが、本棚は結構埃だらけだった。
自分の一番大切な世界である部屋の先っぽへの意識が、全くなくなっていた。

衝動的にティッシュを掴み、埃をぬぐってみる。
そのたびに、心臓のど真ん中にずんと居座っているウツの塊の薄皮が、一枚ずつ剥がれていく。
久しぶりに「うれしい」という感情を抱いた。

本棚の横にあるギターに目を移すと、気づかない間に結構埃をかぶっていた。
ほぼ毎日使っているのに、埃が目に入らないくらい、今の自分の視野は狭いことを実感した。これも丁寧に、ふき取ってゆく。

実はこれから出かける用事がある。大好きな「ミッキーマウス展」に行くのだ。
ずっと行きたかったのだが、体調が心配で行こうか迷っていた。でも今日、無理矢理でもテンションをあげようと、起きた直後に予約したのだった。

1人で出かける時はしないのだが、「先っぽ」意識を持って、髪をワックスで整えてみる。
お気に入りのパーカーに袖を通して鏡を見ると、「なんだかちょっとイケてる自分」がそこにいた。
照れくさいけど、ちょっとうれしい。

最後に、靴を磨いた。スニーカーなんて汚れて当然と思っていたけれど、毎日履くのは革靴でなくてスニーカー。たまに履く革靴は結構丁寧に扱っていたけれど、身近なやつほど、扱いがぞんざいになって行くんだね。これからは気をつけようと思いながら、しっかりと拭いた。

でも、ソールの汚れがうまく取れない。
帰りに、百均で磨く用の歯ブラシ買おう。
でも今日は人混みで疲れるだろうから、明日やろう。明日は、生きなきゃ。

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