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久美子の物語【着物の謎ババァ】

気が向いたので、とっておきの怪談?不思議話を記録する。

話は古い。
1984〜2005年の間の出来事である。


登場人物

私:胎児〜20歳
久美子:私の母
欽也(きんや):私の父
T子:欽也の母(私の父方の祖母)
謎のババァ

第一章【霊感少女久美子】

私の母 久美子は長崎県は佐世保の厳格なカトリックの漁師の家で生まれた。しかも7女1男の8人兄弟の五女として生まれた。

久美子の実家から徒歩20秒でこの海岸

昔から、霊感というか不思議な体験をすることが多く、霊的な経験は彼女にとってはある種の日常であった。
毎回、金縛りになると『怖いな』とは思いつつ、思いきって金縛りの正体を確認する。
するとそれはいつも、ぼんやりと覚えている ずっと前に死んじゃったばあちゃんだったり、曽祖父だったり、親戚の叔母ちゃんだったり。
その度に久美子は『あーばあちゃん様子見に来てくれたんかなぁ』と、ちょっとほっこりして、あんまり怖くなくなった。

第二章【いびられる久美子】

家が大家族であんまり裕福ではなかったので、
久美子は姉たちを頼って15歳 中学卒業と同時に九州を離れ愛知県岡崎市の大企業に住み込みで就職することになる。
会社の敷地内には夜間高校も併設され、いわゆる金の卵就職である。

慣れない仕事・学校・生活の中で、体調を崩し一時帰省したこともあった。
そのたびにもやはり、精神的・身体的疲労からか、何度か金縛りにあっていた。

学校を卒業してから、そこで得た縫製の技術を生かし、大阪の企業に転職した。
そこで出会った2歳年下の欽也と交際期間ほぼゼロで結婚する。
父である。私の。
久美子27歳の時であった。
欽也の計らいで、カトリック育ちの久美子のために大阪京橋の教会で挙式をあげたが、挙式当日に寝坊した久美子はなんとすっぴんで自分の結婚式に出た

欽也は、広島県の瀬戸内海に浮かぶ小さな離島の出身である。妹が一人いる。
現在も人口がさほど多くない島で育った欽也は、幼少期から神童と呼ばれた(らしい)。
小さい頃から習字を嗜み、私が記憶している父もすごく達筆(楷書)だったが、とにかく筆圧が薄かった。あとガリガリだった。
彼曰く、勉強している時に、腕が疲れると萎えるので力を入れないようにしたのだそう。長時間勉強前提やん。

めちゃくちゃ渋いやろ
神峰山からの展望

それほど、子供に教育費用をかける文化が当時あまりなかったド田舎の離島で、ひどく教育熱心だったのが欽也の母:T子だった。

T子の指導の甲斐もあり、欽也は当時の広島県で最も偏差値の高い高校に進学する。
そのために15歳 離島を離れ下宿を始めた。その後 関西の大学(関関同立のどれか)に進学した。
T子にとって手塩にかけて育てた欽也は自慢の息子だったので、ある日 突然現れた嫁の久美子は、年増だし(当時27歳独身女性はそういわれたみたい)、田舎者だし、大家族育ちで、中卒(本当は4年制の高卒)だし。
正直、気に入らなかった。

『犬猫じゃあるまいしそんな子どもいっぱい産んでもねぇ』

久美子は身体が丈夫だったし、大家族だし、五女だし、親に大事に扱われた記憶なんかもちろんないけど、大切な両親に対して嫌味を食らい腹に据えかねることも何度かあった。

孫にあたる私たちの前では そこまでのことを言う記憶はないが、確かに学校の成績で、孫に優劣をつけていた印象がある。
昔の人にしては長身で恰幅の良い女性だった。
意地悪ばあちゃんかもしれないが、私の高校時代の留学資金を出してくれたのは祖母である。
還暦超えてから海外旅行にハマったり、息子への教育熱心さも相まって、勉強したい子どもや孫に勉強を存分にさせてやることを美学としていたのではないかと、今は思う。

今になって思うことってあるよね。

まぁ でも ゆうて当時は大阪府柏原市に住んでいたし、欽也の両親とそんなに頻繁に顔を合わせるわけではないので受け流すことにした。
そんな中、久美子は速攻妊娠する。

第三章【妊娠する久美子】

しかし、速攻流産する。一年の間に二度流産する。更に、なんならその時に腫瘍が見つかり、卵巣を一つ摘出した。

婦人科の担当医からは『もう子どもは諦めなさい』と言われ、絶望に暮れた。追い詰められる久美子に、広島から看病に来てくれたT子が更に嫌味を浴びせる。

時間をかけて、自分を立ち直らせながら
三度目の妊娠をした。私である。

28歳、焦りもあった。一つしか残っていない卵巣で、やっと授かった。焦りと疲れからか、またしても久美子は金縛りにあうようになる。
あるとき、また深夜に金縛りが来た。


『うわ また・・怖いなぁ・・ううぅぅぅぅ・・誰やねん・・あ。でも今 妊娠してるし またばあちゃんかも。
       よし、見たろ!!』


久美子は思いきって目を開ける。
仰向けに寝ていた久美子の頭の上方に正座をして顔を覗き込んでくる白い着物のシワシワの老婆がいた。

・・・・・・いや、誰やねん!!!!


いつもと違って、見覚えのないババァであった。先程までの恐怖より驚きが強くなって、自分とバチコーン目が合っているババァの顔を凝視する久美子。

白っぽい着物。
白髪で前髪長めのショートカット。
ガッリガリ。

誰やねん。

バッチリ記憶した。
いや 誰やねん。
いつの間にかまた眠りにつき、その後 二度と久美子の前に謎ババァが現れることはなかった。

第四章【おばはんになった久美子】

というような話を、私は久美子に 幼少期から繰り返し聞かされた。そのたびに、不思議やなぁ誰やろなぁと言っていた。(その話 何回もきいてるけど、何回きいてもおもろかった。)

私の短大の卒業式の翌日に、16年飼っていた雑種の犬が死んだ。
4月に二十歳で就職して 伊賀市の工場に勤務していた。当時、父は福島県で単身赴任、弟は大阪の大学の寮に入っていたので、犬もいなくなった三重県の実家には私と久美子の二人で住んでいた。

9月 兼ねてより闘病中だった広島のT子の癌が末期に突入し、久美子はパートの仕事を辞めて広島に乗り込んだ。

いよいよ乗り込む直前の、月一回の母娘焼肉会は6000円のコースを食べてやった(三太夫ってなくなったん?)。

正直、久美子からT子には色んな感情があったが、娘の留学資金を出してくれたり、ありがたいこともあった。今は長男の嫁として姑をきちんと看取らなければと思う。

広島の欽也の実家は離島で、入院先の呉の病院まではフェリー乗船時間を含め車で片道1.5時間ほどかかる。祖父は車の免許を持っていなかったので、久美子は主に祖父の送り迎えと、交代で病院に泊まった。

私が週末に新幹線で三重県から広島に行くたびに、子どもが近くに来て嬉しそうだった久美子を覚えている。

私 ここにおったら色んな看護師さんたちに褒められんねんやん。めっちゃええ嫁やって言われんねーん。

と言って、病院近くのyoumeタウンのスタバでコーヒー飲んだりお揃いのマグカップを購入したりした。出来立てのヤマトミュージアムは人が多すぎて入口で断念した。あと、まるまると太っていたはずの久美子はちょっと小さくなっていた。

最終章【再会する久美子】

T子は珍しい、盲腸の癌だった。抗がん剤が投与されると、もちろんみるみる痩せていった。眼球に白い膜が張った。二十歳の私にもすぐにわかった。
この人はもうすぐ死ぬ。

できる限り、その最期が穏やかであるように、2005年12月は毎週 新幹線で呉に向かった。

祖父が手配してくれて、大晦日を呉のビジネスホテルで過ごした。父も弟も駆けつけて、家族みんなで泊まってるのに、部屋シングルやった。そういう家である。楽。

久美子が合間時間に病棟ロビーのソファで昼間に平気でガチ寝している私を起こして言った。

ゆうちゃんさぁ、お母さんが妊娠中に見た
金縛りの知らんお婆さんの話 覚えてる?

んぁ?・・うん、あぁ、覚えてる覚えてる。
寝ぼけながら話を聞き始めた。

あんなに恰幅の良かったT子。
抗がん剤でガリガリに痩せてしまって、
毎日、薄い水色の入院着を着ている。
いつも綺麗に白髪染めをしていた髪も、入院で真っ白になった。
病院の理容室で髪をショートに切った。

入院って大変。


昨日の夜になぁ、おばあちゃん背中痛いっていうから、背中さすってあげててんやん。ほんで急に思い出してさぁ、20年前に見たあの着物のお婆さん、今のおばあちゃんやったわ。



あとがき【ババァになった久美子】

久美子が呉の病院で寝泊まりするようになって4ヶ月後、2006年1月にT子が旅立った。

21歳になっていた私から見ても、久美子は立派な女性だと思った。めっちゃ太ってたけど。
私なら、散々嫌味言ってきた姑を仕事辞めてまで看取る自信がない。しかし久美子は、当然のことのようにケロッとしていた。

そこまで祖母に思い入れがあったわけではないと思っていたのに、葬儀中は涙が溢れて止まらなかった。21歳やったからかな。久美子曰く、T子の気の強さを、私が引き継いでしまったらしい。私と、祖母は似ているのかもしれない(隙あれば海外行ってみたい)。

久美子は今年68歳になった。T子が旅立ったのが69歳だったから、来年追い越す予定。
去年、夫も見送った。
あと孫ができた。名実ともにババァになった。

お遍路結願する久美子

1984年に一度見たあのババァが
2006年の今際の際の祖母であったかどうかは
久美子にしか判断がつかないが、少なくとも今でも彼女はあれがT子だったと思っている。

今は感情の整理がつかなくて意地悪してるけど
最期はよろしくお願いします。

って、22年の時を遡って言いにきたんかなぁ などと、私はぼんやり思う。





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